こんにちは。
ヘイトスピーチのブルーオーシャンをめざすシリーズ、今回は、自称「アナログ人間」です。
嫌いです。
この記事で言いたいこと
自称「アナログ人間」が嫌いです。
嘘つきだからです。
私に言わせれば、ヤツらの思考回路はデジタルです。なのにアナログを自称しています。学歴詐称ならぬアナログ詐称です。
タチが悪いのは、自称「アナログ人間」には、そういう嘘をついていることの自覚がまるでないことです。
自覚のない嘘つきです。そこが嫌いです。
自称「アナログ人間」へのヘイトスピーチ
「アナログ人間」を自称する人が嫌いです。
少しもアナログでないからです。
承る「アナログ人間」の例
先に例外の側から述べます。
ツイッターで用例を検索してみると、12分の1ぐらい例外はありました。
「アナログ人間なので」と手描きのイラストを載せていた例です。恐らくは自作なのでしょう。
それはわかります。確かにアナログです。画像はデジタルだけど。
「アナログ人間」の根拠
用例からすると、自称「アナログ人間」たちが「アナログ人間」を自称する根拠は、
- 「デジタル」と総称される事物、すなわち、「デジタル機器」やそれらを駆使する必要がある各種サービスなどの取り扱いが苦手
ぐらいに集約できそうです。
苦手なこと自体は構わないです。誰にでも得手不得手はあります。
しかし私は疑問です。なんでそれが「アナログ人間」になるんでしょうか?
アナログ的思考からの疑問
アナログ的思考から、2つ問いかけてみましょう。といっても、同じ趣旨のくり返しです。
- なぜ、「デジタルでない」が「アナログ」になるのか?
- 「非デジタル=アナログ」のどこが、「アナログ人間」のものの考え方なのか?
自称「アナログ人間」のデジタルな思考回路
自称「アナログ人間」は、
- デジタルが苦手 → 私はアナログ
と、思考が飛躍しています。離散的です。
その思考回路が、まったくアナログではありません。
むしろデジタルです。
- デジタルでない = アナログ
という思考回路です。二値的です。
完全にデジタルです。
同じ構造の類例:自称「文系人間」
先日こんなツイートが回ってきました。ちょうどいい類例だったので借用します。
「わたし文系なんで」と事あるごとに言う人に、「じゃあ綺麗な文章書けるの?英語話せるの?何ができるの?」って聞いたら、黙る人の多いこと多いこと。「文系」ってのは「理系が得意そうなことができない人」を指す言葉じゃない。そういう人は「文系でも理系でもない、ただのウスい奴」です。
— ディひター@C88金曜へ25b (@F_Dichter) 2015, 6月 18
- 理系が得意そうなことができない → 文系
という論法です。同じ構造です。離散的です。
念のため付け加えておきますと、自称「文系人間」を私は好きでも嫌いでもありません。「そういう人」と思うだけです。ツイートの表現を借りれば、ただのウスい奴と思うだけです。
まとめ
自称「アナログ人間」の大半(弊社調べでは12分の11)は、嘘つきです。どこにもアナログなどありません。
なぜなら、「非デジタル=アナログ」の二値思考をしているからです。「デジタルでないからアナログ」という、離散的でデジタルな考え方です。
その論理と思考回路に、
ある量またはデータを、連続的に変化しうる物理量(電圧・電流など)で表現すること。
(広辞苑)
という、アナログの要素などびた一文ありません。
むしろ対極を、アナログと詐称しています。嫌いです。
自覚のない嘘つきが嫌い
自称「アナログ人間」には、嘘をついている自覚がまるでありません。もし自覚しているなら、一般人の良心に照らしてこんなひどい嘘はつけないはずです。
自覚のない嘘つきが嫌いです。
アナログなめんなよ。
アナログタロウさん ※www.top-color.jpより
後記:自称「アナログタロウ」さんのケース
「80年代の歌番組の曲紹介」が持ちネタのアナログタロウさんも、検討してみるとアナログの要素はあまり見当たりません。
より正確に記すならば、アナログではなくて、アナクロ(懐古趣味)です。
アナログタロウさんのどうでもいい情報は好きです。
どうでもいい。
おわり
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