こんにちは。
表題の件、先に結論から書きます。
結論
あなたの気持ちしか受け付けておりません。
で、あなたはどうなんですか?
と、返しましょう。
説明
世の中には、自分以外の誰か/何かを持ち出して
- ~~の気持ちも考えてほしい
- ~~がどう思うか
とか言ってくる人がいます。
豆腐を例に
クソリプ論の発祥と(私に)言われている、Twitterで目にした「豆腐は白い」の話:
インターネット上で「豆腐は白い」って書くと、「白くない豆腐もあります」「白い豆腐が食べられない人もいるんですよ!」「私の豆腐は白くありませんが」「厳密にいうと薄いベージュです」「豆腐は黒くあるべきです」「豆腐信者乙」「豆腐主義者め」「豆腐とはお前自身だ」などのリプがきます。
— まくるめ (@MAMAAAAU) 2012, 12月 2
ここからアレンジすると、
「豆腐が好き」に対しての、
- 豆腐が嫌いな人の気持ちも考えてほしい
という類のやつです。
from photozou.jp by (C)ひでわく
以下本稿では、「~~の気持ちも」とか「~~がどう思う」とかの「~~」に、「豆腐が嫌いな人」を入れて語ります。
直接の答えは「わからない」
豆腐が嫌いな人の思いや気持ちがどうなのか。直接答えるとするなら「わかりません」です。
それ以外に答えようがありません。仮説は思い浮かびますが、それを検証する術がありません。
10代20代の頃は、私もこれ式の質問を想定して、持ち出された誰かの気持ちや思いがどんなかをそれなりに真剣に考えてきました。結局わかりませんでした。
今なおわかりませんし、わかるとも思えません。
わかりません。
なので私は、豆腐が嫌いな人自身による気持ちや思いの表明だけを受け付けることにしました。
受け付けるのは当人からのみでいい
つまり、「豆腐が好き」への例としては
- 私は豆腐が嫌いです。非常に不愉快です。今すぐ撤回してください!
こういう構造の話なら聞きます。もちろん、出された要求を聞き入れるかどうかは別の話ですが、そこはおいて、ひとまずは聞きます。
それがどんな人からのどんな気持ちの表明であれ、該当する当事者、例で言えば豆腐が嫌いなその当人から発せられたその声は、傾聴に値するものと考えています。
それで気持ちがわかるのか、というのはありますが、少なくとも、そういう表明をした事実は認識ができます。
一人称にしてくれ
管見では、自分の好きな芸能人の悪口を言われていたりなど、何か気に入らない扱いをされているのを知った人が「豆腐が嫌いな人」式の返信をしているケースをよく見かけます。
「そんなことを言われる/される、○○くん/さんの気持ちも考えてください」
知るか。で終わりです。
「ファンの私は、気分が悪い」
そう言えばいいのにと思います。
「自分はいいけど」と思ったら
自分はいいけどなんか釈然としない、時にそういうもやもやが起こるというのはわかります。そういうとき「~~の気持ちを考えろ」は便利な論法です。
しかし、けんか腰の相手ならそれも「は? あんた誰?」と返されて終わりです。豆腐が嫌いな人を代理する資格などどこからも与えられていないのですから、当然です。
丸投げしよう
そういうときどうすればいいかというと、豆腐が嫌いな人に丸投げすればいいのです。
つまり、豆腐が嫌いな人に「コイツこんなこと言ってますよ」と注進に及べばいいです。ふるまいとして下品だなーと思いますが、まだわかります。
そのうえで、豆腐が嫌いな当事者がどういう気持ちになるか、その気持ちをどう扱うかは、豆腐が嫌いなその当人に任せればいいことです。
「ご本人登場」が難しい場合
何らかの事情で、豆腐が嫌いな本人による直接の表明が困難または不可能なこともあるでしょう。それでもなお、自分にその資格があるかの自問と、代弁者を気取っている自覚と含羞は持っておいてほしいところです。
まとめ
「豆腐が嫌いな人がどう思うか」「気持ちも考えろ」式のもの言いが嫌いです。理由は大きく2つあります。
自分には豆腐が嫌いな人の思いや気持ちがわかると思っています。傲慢です。言えば相手にもそれがわかる、と思っています。重ねて傲慢です。
また、もし自分も豆腐が嫌いなら、自分を主語にして文句を言えばいいです。からんでいながら自身が関わろうとしない根性が卑劣です。
どれも嫌いです。
一度は「~~の気持ちも考えて」式のもの言いが嫌いな人の気持ちも考えてください。
おわり
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