こんにちは。ゲスの極み中年。です。
当たりまえだけど、当たりまえだからこそ、報われない気持ちも整理して考えてみました。
はじめに
コーラのCMソングで面白いことを言っていました。
私以外私じゃないの
当たり前だけどね
ゲスの極み乙女。《私以外私じゃないの》(詞・曲:川谷絵音, 2015)でした。
楽曲の公式動画がYouTubeにありました。
ゲスの極み乙女。 – 私以外私じゃないの(2015/04/07付)
なお上の画像は、この動画からキャプチャしたものです。
CMギャラリー
CMは「あの人と。」「みんなと。」「あいつと。」の3パターンがOAされています。それぞれの動画を埋め込んでおきます。
【コカ・コーラ】TVCM 「ネームボトル バイク」篇 15秒 Coca-Cola TVCM(2015/04/05付)
【コカ・コーラ】TVCM 「ネームボトル バンド」篇 15秒 Coca-Cola TVCM(2015/04/05付)
【コカ・コーラ】TVCM 「ネームボトル ボルダリング」篇 15秒 Coca-Cola TVCM(2015/04/05付)
なぜ、「私以外私じゃないの」か?
ゲスの極み論考。の本稿では、次の各点を検討します。
- なぜ「私以外私じゃないの」か?
- 「私以外私じゃないの」とは何か
- 「私」とは何か
- 「私以外私じゃないの」の論理
- 「私以外私じゃないの」は本当か?
- 「私」と「私以外」のあいだ
- 「私」のケーススタディ:免疫系
- 「当たり前」の残念さ
なぜ「私以外私じゃないの」か?
♪私以外私じゃないの~
なぜだろうか?
「そういうことにしておく」からである。
もう少しかみ砕いて述べると、
- 「私以外」を「私じゃない」ということにしておく
- 「私じゃない」範疇を「私以外」としておく
のである。
「私以外私じゃないの」とは何か
「私以外私じゃないの」
これは、排中律の表現と考えられる。
排中律とは
排中律とは、ある命題が
- 「Aである」
- 「Aでない」
のどちらかであり、中間はない。とする法則を指す、論理学の用語である。
「中」間を認めない(=「排」する)から、「排中律」または「排中原理」という。
「私」とは何か
先に、ここでの題材である「私」を片づけておこう。
「私」とは何か?
これはなかなかの難問で、「我思う、ゆえに我あり」のデカルトを筆頭に、古来いろんな人が考えてきた。
「私」とは、存在の一形式である。
というのが、ゲスの極み中年。による目下の暫定的な答えである。
たぶん、最終回答は出ない。
「私以外私じゃないの」の論理
くり返すと、「私以外私じゃないの」は、排中律の論理に則っている。
- 「私」の外=「私以外」は、「私」じゃない。
ひっくり返すと、
- 「私じゃない」ところを、「私」の外=「私以外」とする。
そういう定義文だと解釈できるからだ。
別の言い方をすると、この世界は
- 「私」
- 「私じゃない」
のどちらかであり、両者の中間は認めない。
すなわち、A「である」「でない」のどちらかに限る。この形式の言明では、
- 両方を否定:「私」でなく、「私じゃない」でもない
- 両方を肯定:「私」であり、「私じゃない」でもある
というようなあり方は認めないのである。
「私以外私じゃないの」は本当か?
しかし、本当に排中律を適用して「私以外私じゃないの」と言い切れるのだろうか?
次のような例を考えると、疑わしくなってくる。
排中律への疑問 (1)円周率
排中律への疑義としてよく引き合いに出されるのが「円周率」である。
円周率π(パイ)の数字は、3.14159…と無限に続く。
この数列の中に、私のケータイ番号の11桁が並んでいる箇所はあるだろうか? を考える。
見つかれば「ある」と言える。
10の11乗=100億桁ぐらい探せば、「090」で始まる私の番号が見つかるかもしれない。
しかし、見つからなくても「ない」とは言えない。
100億桁まで探してなかったとしても、もっと先まで探せばあるかもしれないからだ。
無限の厄介なところである。
排中律への疑問 (2)カモシカのような脚
同種の問題に、
「カモシカのような脚」とはどういう脚か?
がある。
細いのか?それとも細くない(太い)のか?
「まだ決まらない」が答えである。
文脈に依存し、これだけでは何も言えないからだ。
以前検討したので、詳しくはこちらで。
「カモシカのような脚」は細い?太い?問題に決着!答えは「まだ決まらない」(2013/11/04)
最初の検討事項に戻ると、そういう疑義も視野に入れつつ、「私以外私じゃないの」と「いうことにしておく」のである。
「私」と「私以外」のあいだ
「私以外私じゃないの」に対して、もうひとつ起こる疑問が
「私以外」を、そんなに簡単に識別できるものだろうか?
である。
識別が非常に難しい領域は、実在する。
私とコーラ
英語には
You are what you eat.
という格言がある。直訳だと「あなたはあなたが食べる物である」となろうか。
食事の大切さを説いたもの、あるいは、食べるものでその人となりがわかる、といった趣旨の格言だと理解している。
私がコーラを飲む。
私はコーラだろうか?
違う。コーラは私ではない。
コーラを飲むと太る。
なぜだろうか。コーラの一部だった何かが、私の一部になっている。
いつのまに?
「私」のケーススタディ:免疫系
先ほど「『私』とは何か」はけっこうな難問だと述べた。
その難問に、ひとつの答えを出している系がある。免疫だ。
免疫における「私」とは、「分子配列の特定のパターン」である。
パターンに合わない「異分子」は、「私じゃないの」と認識され、攻撃され、排除または殲滅される。
たとえば、輸血のときに同じ血液型の血液を使うのも、血液型が違うと「私じゃないの」と認識されるからだ。
このシステムが、誤って「私」に向けられ発動されると、関節リウマチなど「自己免疫疾患」と呼ばれる各種疾患となる。
また、花粉症を代表とするアレルギーも、「私じゃないの」の反応が過剰になっている疾患症状と言える。
正確には「自己」
ただし、免疫系に係る文脈では、「自己」と「非自己」という言い方をする。
「私」と「自己」は似ている部分もあるが、同一ではない。排中律を適用すれば、「自己」は「私以外」である。
♪自己も非自己も私じゃないの~(字余り)
当たり前だけどね
「当たり前」の残念さ
続く「当たり前だけどね」という詞は、少し残念に思う。
せっかく「私以外私じゃないの」とセンスのいいところを切り取っているのに、いちど動き始めた思考が「当たり前」で止まってしまっているからだ。
これも、以前に検討している。
- 「あたりまえ」の問題点は、「思考停止ワード」であること(2014/03/10)
さて、「思考の動き」に注意して《私以外私じゃないの》の歌詞に耳を傾けてみると、とてもぎこちないことに気がつく。詞の中で、思考が何度も始動と停止をくり返していて、ぎくしゃくと、まるで昔のロボットの歩行みたいだ。
雑に総括すると、それが「若い」ということなのかもしれないが。
「誰も替われないわ」
ゲスの極み中年。としては、その当たりまえにもっと驚いてほしいところである。
普通でしょ?
まとめ
あらためて、検討結果の要点をまとめておきます。
- なぜ「私以外私じゃないの」か?
→「そういうことにしている」から - 「私以外私じゃないの」とは何か
→排中律に則った宣言 - 「私」とは何か
→(さしあたり)存在の一形式 - 「私以外私じゃないの」の論理
→「あいだ」を認めない - 「私以外私じゃないの」は本当か?
→疑わしい - 「私」と「私以外」のあいだ
→「私」と「私以外」の境界は、ところによりあいまい - 「私」のケーススタディ:免疫系
→免疫系における「私」とは、分子配列のパターン - 「当たり前」の残念さ
→思考が停止しているところ
参考文献・サイト
ゲスの極み論考。にあたり、次の各文献・サイトを参考にしました。謝意を表します。
20世紀の数学が直面した計算することの限界—神様のコンピュータは止まらない?—|京都産業大学 コンピュータ理工学部 インテリジェントシステム学科 小林 聡 教授
免疫システムの基礎知識|メルクマニュアル 家庭版
おわり
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