「同級生」論争に終止符。まだ「同級生=クラスメート」なの?

「3年~B組~」

「ヤシ八先生~~」「わっしょい、わっしょい(胴上げ)」

こんにちは。3年B組の坂本ヤシ八(詐称)です。

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※画像は、~足立大好きインタビュー~ 俳優・金八先生 武田鉄矢さん|足立区(2012/07/25付)より

につづく同級生を考えるシリーズ、ここへきての第3弾です。

要約:Executive Summary

世の中には、「『同級生』とは同じ学級内のクラスメートだけ」と主張し、それ以外を「同級生」と認めない人たちがいます。

そういう人たちにとっては、たとえば、3年B組のクラスメートだけが「同級生」です。たとえ同じ年に同じ中学の3年にいても、A組やC組の生徒は「同級生」ではないというのです。

大間違いです。

らくらく反論コースのご提案

間違いに気づいてもらうために、簡単に反論できるプランを2つご用意しました。

お好みでどちらか、または両方をご活用くださいませ。

プラン1

穴うめ問題です。

Q1. 「等級または学年のすすむこと(広辞苑)」を、漢字2文字でなんといいますか?

A1. 進_

Q2. 日本ではほとんど運用されていませんけれども、「14歳で大学入学」みたいに、学業の優秀な子供に対して年齢にかかわらず課程を飛ばして高度な教育を受けさせること、またはその制度を何と言いますか?

A2. 飛び_

はい。答えは、どちらも「級」です。

同級生の「級」の使い方も、それらと同じです。

同級生の級の意味は、学級(=クラス)に限定されるものではありません。

プラン2

「同級生」の近傍にいる言葉を思い出してみましょう。

  • 学年が上の児童・生徒は、「上級生」で、
  • 学年が下の児童・生徒は、「下級生」です。

なのに、「同級生」だけが「同じ組・クラス」限定になるというのは、いったいどういう理屈なのでしょうか?

「論争」マッチポンプ告白

「マッチポンプ」を告白します。記事タイトルに「論争」と付けているのは、盛りました。

実のところ、「同級生」の用法をめぐる「論争」などどこにもないからです。

ネット世界において「クラスメートのみが同級生である」と主張する立場からの言説には、次の2種類しかありません。

  1. 断言しているだけで何ら根拠を伴っていないもの
  2. 反論に対し、「そうかもしれないけどなんかイヤ」と表明しているもの

 

このような状態ですから、痕跡らしきものを含め、「論争」の発見は困難であります。

さりながら、起こるかもしれない今後の論争に備え、近代デジタルライブラリー所収の学事関連資料をひととおり渉猟し、「同級生」に係る「級」の用法の変遷を示せるだけの素材は見つくろえております。恐らく出番はないと思いますが。

「学級」が「人の集団」ではなかった時代

そのなかからひとつだけ根拠を示しておきます。「学級」という言葉についてです。

もともと「学級」に「人の集団」の意味はありませんでした。

明治6年(1873年)に発せられた学制の追加部分からです。※下線は引用者

第百六十六章 仮令ヒ現今貸費ヲ乞フノ学カアリト雖モ修学ノ年間学級ノ進歩ニ比シテ其年長キモノハ之ヲ許サス

出典:文部科学省 > 学制百年史 資料編 より

「貸費(学費の貸与)を申請できるだけの学力があっても、進級に時間がかかっている者は認めません」

ぐらいの意味でしょうか。

「学級ノ進歩」という使われ方をしています。

この「学級」は、横文字で言い換えるなら「ランク」「グレード」ぐらいの意味です。生命保険や自動車保険の「等級」と同様ですね。

「同級生」もその時代に生まれた

そして「同級生」の言葉も、この時代に生まれています。

前回の記事:

同級生を考える(2):正岡子規は「同学年」の意味で使っていた―「同級生」原理派への反論(2014/02/01)

で、青空文庫から用例をいくつか紹介しました。

「学級」のシフトが遠因

「学級」が、ある一定要件を備えた人の集団を意味するようになったのは、公文書に「学級」が登場してから少し経った、明治20~30年代にかけてです。

以来現在に至るまで、「学級」は「人の集団」を意味する用法が主流です。

大ざっぱに言えば、当初は抽象よりの概念だった「学級」が、明治半ばに具体的な人物集団を指す言葉に変容したことが、「同級生」の勘違い解釈が生まれた遠因だと言えましょう。

現在も残る古来の「級」

しかし上の「反論プラン」にも示したように、学制の条文中にある「学級」のような「級」の使い方が、現在も廃れたとは言えません。

「進級」「飛び級」「上級生」「下級生」etc.…

これらの「級」はすべて、明治初年の「学級」と同様に、「ランク」「グレード」という程度の意味です。

「原理派」改め「レイシスト」

当ブログでは、同じクラスに属したクラスメート以外での「同級生」を認めない一派を、便宜上「原理派」と呼んできました。

しかし、以上の検討を経てみると、この呼称は改める必要がありそうです。「適用範囲が最も狭い」というだけで、それが「原理」ではなかったからです。

レッテルを貼り直すとするなら、同級生「レイシスト」でしょうか。詳しくは後述します。

結論:

最後に、私の見解をまとめておきます。

  1. 「同級生=クラスメート」は誤りです。クラスメートに限定されません。
  2. 同じ学校の同年の出身であれば、「同級生」でなんら差し支えありません。
  3. 単なる「同い年」だけで、「同級生」とするのは拡大解釈がすぎる気はしますが、誤用とまでは言えません。現行の教育制度を鑑みれば、年齢が同じであれば、「級」が同じと推定できるからです。

同級生「レイシスト」の皆さんへ

「同級生はクラスメートに限る」という論のおかしさは、次の論のおかしさと共通します。

「白人だけが人間」というレイシスト

  • 白人は人間である。
    → 正しいです。
  • 白人だけが人間である。
    → 誤りです。人間は白人だけではありません。

過去に「白人だけが人間である」という時代・場所が実在したかもしれませんが、現在の視点で評価すれば、それは誤った考え方です。

「クラスメートだけが同級生」という同級生レイシスト

白人を「クラスメート」、人間を「同級生」に置き換えても、まったく同じ論法が成立します。

  • クラスメートは同級生である。
    → 正しいです。
  • クラスメートだけが同級生である。
    → 誤りです。同級生はクラスメートだけではありません。

過去に「クラスメートだけが同級生である」という時代・場所が実在したかもしれませんが、現在の視点で評価すれば、それは誤った考え方です。

それでもまだ「同級生=クラスメート」なの?

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