こんにちは。出典マニアの検証報告です。
この記事で言いたいこと
愛の反対は無関心
これを「マザー・テレサの言葉」とする人がいたら、にやにやと半笑いで見守ってあげましょう。
要約:Executive Summary
「愛の反対は無関心」について:
- マザー・テレサ(1910-1997)の言葉ではありません。
- エリ・ヴィーゼル(Elie Wiesel, 1928-2016)という人の言葉です。1986年の『US News & World Report』誌のインタビューに載っているようです。
- 面白いことに、「『愛の反対は無関心』はマザー・テレサの言葉」という間違い方は、英語圏ほかではほとんど見られません。もっぱら日本独自の現象です。
- どうやら、1981年の公共広告機構(現・ACジャパン)の広告キャンペーンが、「マザー・テレサなりすまし名言」を生んだ大きな要因になっていそうです。
※画像は、ACジャパン広告アーカイブ > 私たちの敵は、無関心です。(マザー・テレサ)(1981)より
【2017/02/09記】ヴィーゼルの没年を入れました。
調査過程と解説
順を追って説明します。
0.愛の反対は無関心
- 愛の反対は無関心
という言葉があります。
正式?なバージョンは、
- 愛の反対は憎しみではなく、無関心
というようです。
バリエーション:好きの反対は無関心
また、そこから派生したと考えられる“バリエーション”として、「好きの反対は嫌いではなく、無関心」というのもあります。
たとえばふなっしーも、阿川佐和子さんとの対談で
結局、好きの裏返しは嫌いじゃなくて無関心だってよく言うのは、そういうことだなって思ったなっしー
と使っています。(SWITCHインタビュー 達人達 2014/11/15 OA)
1.「マザー・テレサの言葉」説
「愛の反対は無関心」は、マザー・テレサの言葉としてよく紹介されます。
私もそうなのかなと思っていました。
どうも怪しい
ところが、レファレンス協同データベースの事例「マザー・テレサの名言「愛の反対は憎しみではなく無関心だ」という言葉が掲載されている本を見たい。」(2015/03/04 登録)を読むと
以下の資料にその言葉が載っているが、いつ、どこで発せられた言葉なのか明確に記述のある資料はなかった。
となっています。
図書館の人があちこち探してみたが、しっかりした出典・典拠が見つからなかったという話です。
怪しいニオイがします。
別人の言葉のようだ
当該事例の「回答プロセス」欄の末尾には、こうありました。※下線は引用者
なお、「opposite of love(「愛の反対」の訳文)」でサイト内検索すると、エリ・ヴィーゼル(米国のユダヤ人作家。ノーベル平和賞受賞者)の以下の言葉がヒットした。
そっちじゃないの?
探ってみることにしました。
2.本当は、エリ・ヴィーゼルの言葉
あいにく、一次資料までの確認はできていません。
ですが結論としては、「愛の反対は無関心」というのは、エリ・ヴィーゼルさんの言葉で間違いないだろうという感触です。
Elie Wiesel (2012), photo by David Shankbone from commons.wikimedia.org
二次情報ですが、典拠を2つ示しておきます。
Wikiquote
en.wikiquote.org/wiki/Elie_Wiesel に、「愛の反対は無関心」の原文が載っています。
引用します。改行は適宜調整しました。
The opposite of love is not hate, it’s indifference.
The opposite of beauty is not ugliness, it’s indifference.
The opposite of faith is not heresy, it’s indifference.
And the opposite of life is not death, but indifference between life and death.
【拙訳】
愛の反対は憎しみではない。無関心だ。
美の反対は醜さではない。無関心だ。
信仰の反対は異端ではない。無関心だ。
生の反対は死ではない。生と死への無関心だ。
出典は「US News & World Report (27 October 1986)」となっています。
また、同じ出典を持つ言葉に、
Indifference, to me, is the epitome of evil.
(無関心とは、私にとって悪の典型だ)
というのもありました。
michaelcrosby.net
同じところから引いて、ヴィーゼルさんの発言が長めに使われているドキュメントがありました。
孫引きになりますが、HOW INDIFFERENCE IS THE GREATEST VIOLENCE(PDF:英語)から引用します。
He stated: “If there is one word that describes all the woes and threats that exist today, it’s indifference.” He explained: “You see a tragedy on television for 3 minutes and then comes something else and something else. How many tragedies have we had recently? The Challenger, Chernobyl, the earthquake in El Salvador . . . Because there are so many tragedies, a sense of helplessness sets in. people become numb. They become indifferent.”
【拙訳】
彼[ヴィーゼル]は、「今日のあらゆる災厄や脅威を一言で表す言葉があるなら、それは『無関心』だ」という。
こう説明している。「3分あればテレビで悲劇が見られる。次の悲劇、そのまた次の悲劇と。最近悲劇がいくつ起こっただろう? チャレンジャー号、チェルノブイリ、エルサルバドルの地震…… たくさんありすぎて、無力感が定着している。人々は感覚が麻痺し、無関心になっている」
このドキュメントでは、出典についても、
Elie Wiesel, Interview with Alvin P. Sanoff, “One Must Not Forget,” U.S. News & World Report, October 27, 1986, 68.
と、具体的かつ詳細に示されています。
ただ2つのサイトの文言には細かな異同がありますので、いつかアメリカに行く機会があれば、図書館に寄って掲載誌を確認したいところです。
3.英語圏にはない現象
調べてわかったのですが、「『愛の反対は無関心』はマザーテレサの言葉」という誤情報の氾濫、どうも、ほぼ日本限定の現象みたいなのです。
面白いことに、「愛 無関心」を、相当する英語「love indifference」にして検索してみると、結果のページではどれもほぼきちんと、Elie Wieselさんの言葉として紹介されています。
私の見た限り、有象無象のquotes(名言集)ページにも、英語のWeb界では「愛の反対は無関心」をマザー・テレサの言葉としているものは見当たりませんでした。
近隣諸国もほぼ同様
英語に加えて、検索キーワード
「マザーテレサ 愛 無関心」
を、近隣諸国の言葉(ロシア語・中国語・韓国語)に翻訳して検索してみましたが、英語と同様に「マザー・テレサが『愛の反対は無関心』と言った」とする情報はほとんど見当たりませんでした。
エリ・ヴィーゼルさんの言葉である「愛の反対は無関心」が、「マザー・テレサの言葉」に化けてしまっているのは、どうやら日本特有の現象のようです。
それにしても、世にも奇妙な珍現象です。
4.“元凶”は、1981年のACジャパン広告か
「愛の反対は無関心」が「マザー・テレサの言葉」に化けているのは、どうも日本語圏独自の現象らしい。ということがわかってきました。
ということは、そこに日本独自の事情があったことがうかがえます。
では、「日本独自の事情」とは、何なのでしょうか。
どうも、これが大きく関わっているように思います。
私たちの敵は、無関心です。(マザー・テレサ)|ACジャパン広告作品アーカイブ
ノーベル平和賞受賞者マザー・テレサの献身的な隣人愛を主題にした作品。演出は千葉茂樹さん。
1981年のキャンペーンです。
「無関心」「マザー・テレサ」「隣人愛」と牌が揃い、あとは「反対」のトイツ待ち状態です。
そこへ、後にヴィーゼルさんの言葉を聞いた誰かが、無意識に(ないしは意識的に)混同したのが発端ではないでしょうか。
「なりすまし名言」発生までの仮説
ということで、時系列でざっとこんな経緯なのだろうと推測します。
- 1979年
- マザー・テレサ、ノーベル平和賞受賞
- 1981年
- マザー・テレサ、初来日
- 公共広告機構「私たちの敵は、無関心です。」キャンペーン
- 1986年
- エリ・ヴィーゼル、ノーベル平和賞受賞
- 雑誌のインタビューで「愛の反対は無関心」と述べる
からの
- 198x年
- (日本の誰か)
「ノーベル平和賞」「愛」「無関心」から、マザー・テレサのアレを連想 - マザー・テレサ「愛の反対は無関心」の発生
以来、「なりすまし名言」が流布されるに至っている。そんなところではないかと思います。
補遺:マザー・テレサの「無関心」について
調べてみると、どうやらマザー・テレサにも「無関心」に言及した言葉はあるようです。調査した感触としては彼女が本当に発した言葉に思えますが、裏を取れるだけの出典に出会えなかったので、ここでの具体的な記述は控えます。
ともあれ、マザー・テレサが「愛」と「無関心」をセットで端的に述べたような記述は見当たりません。
参考サイト
文中に記したもののほか、次の各ページの情報から手がかりを得ました。謝意を表します。
Wikipedia:
mieki256’s diary:
愛の反対は無関心である(2005/06/12付)
Yahoo!知恵袋:
マザーテレサの言葉として「愛の反対は、無関心」がありますが、この言葉の原文(英語)を誰かご存じないでしょうか?(2010/10/19付)
”愛の反対は無関心”-マザーテレサのこの言葉の在処を知っていますか?(2008/06/17付)
こちらには、イギリスの教育学者、A・S・ニイル(Alexander Sutherland Neill, 1883-1973)の言葉とする情報もありました。しかし出典が確認できませんでしたので、現時点では英語版の「なりすまし名言」と疑っています。
関連事案
「愛の反対は無関心」と直接の関係はありませんが、マザー・テレサがらみでは、こちらも面白かったです。
マザーテレサの「名言」と伝言ゲーム(初出:2011/10/19付 最終更新:2014/12/04付)
まとめ
次の2つは、似ているようで、大きく違います。
- マザー・テレサが「○○」と言った
- 「マザー・テレサが『○○』と言った」と誰かが言った
混同しないように、注意しましょう。
愛と無関心とマザー・テレサ
恐らくはここまで述べてきた諸事情のせいでしょうけれども、Googleを使って日本語で「愛 無関心」と検索すると、マザー・テレサがほぼセットで出てきます。
そんなのばっかりです。
牛丼に生卵、ラーメンに餃子より高い頻度です。
半笑いで見守りたいページたち
最後に悪趣味きわまりない趣向として、そんな「愛と無関心 マザー・テレサ乗せ」の代表例を取り上げ、にやにやと半笑いで見守ってみましょう。
「愛 無関心」検索最上位のページも
最上位に出てきたページからです。※下線引用者
マザー・テレサが愛の反対は憎しみではなく無関心ですと言ったのは有名な話です。
聖書の中でこの言葉を探したのですが見つかりません。これは聖書の言葉ですか?
出典:マザー・テレサの言葉、「愛の反対は憎しみではなく無関心です」とは聖書にある言葉ですか?|聖書入門.com
有名かもしれませんが、「マザー・テレサの言葉」というのは嘘です。
この言葉はマザー・テレサの言葉で聖書の言葉ではありませんが、この言葉は聖書が伝えようとしていることの本質を捉えています。
聖書の言葉ではないのに加えて、マザー・テレサの言葉でもありませんでした。残念。
(イタい)書籍も新聞も
ほか、ここで具体名は挙げませんが、先述のレファレンス協同データベースの事例でも、「マザー・テレサの言葉」となっていた資料が複数紹介されています。
なんともイタい話です。
反例候補の検討
いちおう、「マザー・テレサの言葉」派が有利そうな情報も引いておきます。
マザーテレサを偲んで(1997年9月発表)からです。 ※下線は引用者
初めて日本を訪れたマザー・テレサの言葉を今でも鮮明に覚えています。
「日本に来てその繁栄ぶりに驚きました。日本人は物質的に本当に豊かな国です。しかし、町を歩いて気がついたのは、日本の多くの人は弱い人、貧しい人に無関心です。物質的に貧しい人は他の貧しい人を助けます。精神的には大変豊かな人たちです。物質的に豊かな多くの人は他人に無関心です。精神的に貧しい人たちです。愛の反対は憎しみとおもうかもしれませんが、実は無関心なのです。憎む対象にすらならない無関心なのです。」
名義は「カトリック東京大司教 白柳誠一枢機卿」となっています。
しかしこの発言の形式は、
- 「マザー・テレサが『○○』と言った」と誰かが言った
です。 あいにく私には、後から白柳枢機卿の記憶が改変されている可能性を打ち消せません。
一緒ににやにやと見守ってあげようと思いましたが、遅かったです。既に2009年末、白柳枢機卿は天に召されておりました。
ペトロ白柳誠一枢機卿 帰天|カトリック中央協議会(2009/12/30付)
マザー・テレサの言葉(真正)で救う「なりすまし」被害
確かにマザー・テレサは「愛」も「無関心」も説いたでしょうけれども、両者を「にこいち」で述べた事実は確認できませんでした。
なのに日本では、別人の言葉をマザー・テレサの言葉とする、マザー・テレサの「なりすまし」が今なお横行しています。
実にイタい話ですが、にやにやと半笑いで見守ってあげましょう。
かのマザー・テレサも、1979年、ノーベル平和賞の受賞スピーチでこう述べています。
The smile is the beginning of love.
(微笑みは愛の始まり)
出典:Nobel Lecture, 11 December 1979|The Nobel Peace Prize 1979 Mother Teresa|Nobelprize.org
こちらからは以上です。
コメント
これ書いた奴すげー低学歴っぽそう
これ書いた奴低学歴っぽそう
“The biggest disease today is not leprosy or tuberculosis, but rather the feeling of being unwanted, uncared for and deserted by everybody. The greatest evil is the lack of love and charity, the terrible indifference towards one’s neighbour….” (Blessed Mother Teresa, 1977)
まずACで「マザーテレサが○○と言った」の事実が確認できないんですがw
名言とマザーテレサをセットで広告しているだけの話で批判はあるにせよ”なりすまし”もどっから出てきたのやら
個別の事実確認はすばらしいのに、肝心の論旨は・・・w
ああ「にやにやと半笑いで見守って~」を自分に対して、って高度な笑いな訳ですね
最後にキメたつもりだろうが、残念。低能まるだし。smile と smirk/sneer の違いが分かってない。
あああ様
なるほど。
この記事のような「ニヤニヤと半笑いで見守る」さまを英語で表すときは、smirkまたはsneerを使えばいいのですね。勉強になります。
ご教示ありがとうございました。
「痛い記事」も「半笑いで見る記事」も両方自己紹介だよな
低学歴ほど文章がやたら冗長的かつ挑発的(2chねらーがいい例
事象と証拠を端的に書けよ、低学歴特有の自分に酔ったキモい文章構成
はじめまして。残念ながら、私も(多分)皆さまと同様、繰り返し出てくる「にやにやと半笑いで見守ってあげましょう」の文言がどうしても気になって仕方がありません。
なるほど確かに、筆者さまは、ご自分である程度の労力を費やして上記の事実を調べ上げ、筋道立てて整理し、文章をまとめ上げられたのだと思います。実際自分もこの事実は初めて知ったわけで、つまり筆者さまが「仕事」をしていただいたおかげで私はほぼ労力ゼロでこの知識を得ることができたので、それに対しては敬意と謝意を示すべきとは思います。
そういう意味で言えば、自力でこの知識を得た筆者さまは、無知な人に対して「にやにやと半笑いで見守る」権利があるっちゃああるのかも知れませんが、少なくとも私には同じマネはできない。する資格がない。だって、労力ゼロで筆者さまに教えてもらっただけの者ですからね。仮に私が、誰かが無知であることを笑ったのなら、「じゃあお前その知識を得るのにどれだけ努力したのか。お前、どんだけ偉いんか」とツッコミ返されるのがオチでしょう。
そう考えると、筆者さま自身が「私は無知な者たちをにやにやと半笑いで見守ります」というのであれば、まあ一応セーフなのかもしれませんが、「これを読んだそこのあなた、さあ一緒に無知な者たちをにやにやと半笑いで見守ってあげましょう」という意味のことを書かれるのは、これはやはり行き過ぎではないかと。
いや分かりますよ、人間誰しも、自分より劣る者を、つい見下したくなるものです。私だってそうです、別に聖人君子ぶるつもりは毛頭ありません。分かります。しかしやはり、無知であることを理由ににやにやと半笑いで見守られた側は、おそらくいい気持ちはしないと思いますよ。
長々と書きすぎて、最早自分でも結局何が言いたいのかよく分からない文章になってしまって大変恐縮なのですが、まあ、要はそういうことです。ご一考いただければ幸いと存じます。失礼いたします。
(私がこの筆者の方に対して抱いているのは、愛なのか、憎しみなのか、どちらに近いのかな? 少なくとも「無関心」でないことは確かだよなあ…)
山崎さま
コメントありがとうございます。
「にやにや」に関してはこちらの記事をご覧ください。
「うかつ」で「いいかげん」な「ニヤニヤ人間観」宣言
「にやにや」だったり「ニヤニヤ」だったり、それぐらいのものです。
それから、何かを知らない存在はそれを知っている存在よりも劣っているんでしょうかね。
あまりそうは思わないですが。
バーナードショーの『悪魔の弟子』という作品にこのような言葉があるようです。かなり有力ではないでしょうか?
The worst sin toward our fellow creatures is not to hate them, but to be indifferent to them: that’s the essence of inhumanity.
内容に反論できず、どうでもいい所に噛み付いてる人のほうが低学歴なのは間違いない。
面白かったです。
私も最近、歴史の小ネタみたいなのがたいていデマで、歴史小説やどっかの寺伝・家伝が出典だったりするのに気づいて出典マニアになりました。
マジ研究者は1行の確認のために世界中から原典を探して、所有者に閲覧許可とか取るのが超面倒らしいですが、ネットでわかる範囲で追っかけるのは楽しい。
レファレンス協同データベースは、裏付け(出典)アリのネタを調べるのにいいですね。
誰かの言葉を引用しただけなら何の罪にもならん、日本が誤解を広めたかまではわからんが、マザー・テレサからすれば、風評被害もいいところ。
マザー・テレサ自身が自分が「愛の反対は無関心を最初に言ったのは自分」と主張してるというなら話は別だが、さすがにそんなことはないだろ