新3大・村上聖一のテレビ論

こんにちは。

様々な世界の3大を見つける、それが「新・3大○○調査会」。

マツコ&有吉の怒り新党(テレビ朝日系)の「新・3大○○調査会」では絶対にやりそうにないので、自分で書くことにしました。

題して「日本人が知っておくべき、新3大・村上聖一の『テレビと低俗』論」です。

はたしてどんな3つが選ばれるのか。

新3大・村上聖一の「テレビと低俗」論

はじめに

まず有権者の皆さまに訴えたいのは、顔写真のひとつも添えてこの男が村上聖一であると言いたいところ、全然見つからないということ。

それはさておき、村上聖一が、NHK放送文化研究所(文研)のメディア研究部に属するということ。

文研は、世界に類を見ない、放送局が運営する総合的な放送研究機関として、昭和21年に設立されました。放送法でも、調査研究業務は番組制作と並んでNHKの本来業務と定められています。

放送文化研究所とは(概要・組織)

村上の調査研究の成果は、主に刊行物「放送研究と調査(月報)」に発表されているということ。※目次から探すでサマリー内容が一覧できます。

自称有識者のヤシロタケツグはこう言います。

「テレビと低俗」を語るのに、村上聖一の論文・レポートは欠かせない。

そこで今回は「放送研究と調査(月報)」から、自称有識者がよりすぐりの3つをご紹介。

1.【第3回】 制度論 ~放送規制論議の変遷~(2013年11月)

ひとつめは、「放送研究と調査(月報)」2013年11月掲載の、「【第3回】 制度論 ~放送規制論議の変遷~」。

全5回にわたる「初期“テレビ論”を再読する」シリーズの第3回分を担当しているのが、村上聖一その人なのであります。

サマリーから引用します。

1950年代後半、テレビの普及を受けて「低俗番組」批判が起こり、それとともに放送制度の見直し論が広がった。

当初は、番組そのものに対する規制の強化を中心に検討が進んだ。そして、1959年の放送法改正では、番組準則に「善良な風俗」条項を加えるといった制度改正がなされた。

しかし、そうした対症療法的な規制強化に対しては、「表現の自由」との関係から問題が多いという批判や、実際に効果が上がるのかといった疑問が上がった。

こうして、1960年代以降の議論を通じて、(略)より間接的な手法をとる方が好ましいという考え方が広まっていった。

一方で、そうした認識は必ずしも幅広くは共有されず、放送事業者の不祥事などをきっかけに番組に対する直接的な規制を求める構図は、現在に至るまでしばしば繰り返されてきた。

この論文は、村上自身も

テレビ放送初期の議論を振り返り、その成果と限界を確認しておくことは、放送制度をめぐる議論を行う上で踏まえておくべき前提になると考えられる。

と自負するとおり、これだけでテレビの低俗論議の50年史がほぼ踏まえられるという、非常に優れた一本なのであります。

本文リンク:
シリーズ 初期“テレビ論”を再読する
【第3回】 制度論 ~放送規制論議の変遷~(PDF)

番組調和原則 法改正で問い直される機能(2011年2月)

ふたつめは、「放送研究と調査(月報)」2011年2月掲載の「番組調和原則 法改正で問い直される機能」。サブタイトルが「~制度化の理念と運用の実態~」となった論文です。

番組調和原則とは

一般の有権者には耳慣れない「番組調和原則」とはなんでしょうか。

サマリーから引用します。

1950年代の低俗番組批判を背景に、1959年の放送法改正で追加されたもの

実は、そんな半世紀前の「テレビと低俗」論議の産物なのです。

テレビ局の免許(再免許)の際に、番組ごとに「教育」や「教養」といった種別を付した放送番組表の提出を求め、行政当局が審査するという方法で運用が行われてきた。

NHKに限らず、すべてのテレビ放送局に義務づけられているのです。

よって当然、「番組調和原則」もまた、「テレビと低俗」を語るのに欠かせない必須アイテムなのであります。

問い直される機能

この番組調和原則に対し、村上は考察を加えていきます。

法改正の趣旨

今回の法改正は、放送事業者に番組種別の公表を求めることを通じて、通販番組の増加を牽制しようというねらいを持ったものだが、

改正からみえてきた課題と論点

※下線は引用者

改正に至る過程で、番組調和原則の理念に関わる議論、つまり、多メディア化の中で総合編成のメディアをどう維持していくかといった問題や、「教育番組10%以上」といった条件を設ける制度運用のあり方が適切かといった問題について、十分に検討が行われたとは言い難い

本稿では、番組調和原則の運用の実態を踏まえつつ、今後どのような議論が求められるか考察を行った。

論点整理が十分に尽くされています。

本文リンク:
番組調和原則 法改正で問い直される機能(PDF)

ふまえない惨状の一例

テレビと低俗を語りたいならば、まずは村上聖一による以上の2本は必読です。

なお「必読」としている趣旨を補足しておくと、「読まないやつはダメ」ということではなく、語るにあたってこれら論文を通読して諸論点をふまえておくこと以上に効率の良いやり方を僕は知らないためです。

でないと、たとえばこんなことになってしまいます。

○中田委員
…私も番組内容について幾つかお伺いをしたいんですが、(略)NHKの番組がどうも、一言で言うと低俗になっていないかというこのことについてです。

国会会議録検索システム > 衆議院総務委員会 第9号(2014/03/25)より

質問者の委員個人を貶める意図はありませんが、ここでくり広げられていた論議は、ひと言で言うと鼻くそです。

議論が何周回も遅れていることが、もう一目瞭然なのであります。

3.放送局免許をめぐる一本化調整とその帰結(2012年12月)

新3大・村上聖一のテレビ論、最後は「放送研究と調査(月報)」2012年12月掲載の「放送局免許をめぐる一本化調整とその帰結 ~裁量行政の変遷と残された影響~」です。

彼の名前をもじって言うならば、この一本で村上は「テレビの聖」となった感があります。人間界の「低俗」を離れ、言わば「神の視点」に近づいた論考です。

サマリーから引用します。

1950年代から1990年代にかけて開局した民間の地上テレビ放送事業者は、多くの場合、免許時に水面下で申請者を統合する一本化調整と呼ばれる過程を経て設立された。

本稿では、いまだに影響が残る放送局免許時の不透明な手続きの実態について、歴史的経緯を振り返りつつ解明を行った。

村上はこのレポートで、テレビ業界の成立過程、端的には各地の民間放送局がどのように生まれてきたか、の足跡をたどっています。

末尾に添付されている、全民間放送局の免許申請と一本化調整の状況をまとめた表は、いろいろ一覧できるすぐれものでした。

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テレビ界の黙示録

といっても、テレビ界は神が作ったわけではもちろんなく、人間社会の産物にほかなりません。

しかしながら、

それによって生じた複雑な資本構造は今なお残り、ローカル局の経営基盤の強化といった放送政策を検討する上で考慮が必要な前提となっている。

という、そんな「複雑な資本構造」をついてニッポン放送株を買おうとしたライブドア(当時)の堀江貴文さんは、複雑怪奇な力関係で、あたかも天罰でも下ったかのように排除されてしまいました。

「天地創造」以来撤退ゼロの闇

2012年現在,民間の地上テレビ放送事業者(略)は国内に127社存在するが,いったん設立された事業者が退出したケースはなく,株主構成も設立当時の状況を反映しているケースは多い。

という「1. はじめに」での村上の指摘から、テレビ業界の歪みと闇が垣間見えてくるような気がいたします。

本文リンク:
放送局免許をめぐる一本化調整とその帰結 ~裁量行政の変遷と残された影響~(PDF)

こちらを「新3大・村上聖一のテレビ論」3つめとさせていただきます。

おまけ

村上聖一さんのものではありませんが、放送文化研究所刊行物の掲載論文ではこちらもおすすめです。

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筆者は「元NHK放送文化研究所研究主幹」とのこと。

「教育テレビ放送」というと、大抵の人は現在のチャンネル名で言えばNHKの「Eテレ」をイメージするでしょうが、テレビ朝日とテレビ東京も、当初は教育専門局として設立されたのです。

しかし、

商業放送の2局は,教育放送による欠損が経営を圧迫し,1973年11月に総合番組局に移行した。

という結末を迎えました。

教育専門局は,1950年代後半に郵政省が放送サービスの量的拡大を図るなかで創設した制度で,放送番組の質的向上と放送サービスの多様化を目的としていた。

そんな高尚な目的を持った民放の教育専門局構想はどのように生まれ、なぜ挫折したのでしょうか。

個々の番組コンテンツや放送局のレベルでなく、テレビ放送というものを「神の目」に近い視点で考えるなら、いい資料になるかと思います。

ご静聴ありがとうございました。

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