こんにちは。
「見る」が使役の形になった、「見せる」と「見させる」の区別と使い分けに迷っている方が多いようなのでまとめました。
コツは、変質者になることです。
この記事で言いたいこと
変質者の目線になれば、「見せる」と「見させる」の使い分けは簡単です。両者の違いは実にクリアです。
※写真と本文は関係ありません
使い分けのポイント
ポイントとなるのは次の2点です。
- 強制性
- 直接性
これらの程度を基準にして、「見せる」「見させる」のどちらが適切かを判断します。
以下、詳しく説明します。
注
説明には「示す」も併用して進めます。この記事では「見せる」または「見させる」と同等の意味に用います。
「見せる」と「見させる」の使い分け方
(1)示す側から
「見せる」と「見させる」を使い分けるには、「相手に示す」というその行為について、「強制性」と「直接性」の2つの程度・度合いを基準にします。
1.強制性
強制性の程度が
- 強いと「見させる」
- 弱いと「見せる」
です。
例:通学路の変質者
あなたが、小学校の通学路に現れる変質者だとしましょう。
下校途中の小学生に「お菓子があるよ」とか甘い言葉をかけて誘い、おもむろに覆いを取り外して示します。そんなシチュエーションの張本人です。
見せる
示す相手が寄ってきた子供なら、これは「見せる」です。強制性は弱いと考えられるためです。
見させる
これが、嫌がっているのを無理やりに見せたとか、逃げたのを追いかけてなお見せ続けた、というような場合には、「見させる」となります。
何を?
検討するための一例なので何を見せて/見させてもいいのですが、穏当なのは、紙芝居あたりでしょうか。
2.直接性
直接性の程度が
- 強いと「見せる」
- 弱いと「見させる」
です。
ここでの直接性とは、「対象の事物を直接示しているか?」というほどの意味です。
例:ベイエリアの変態商売
あなたが、ベイエリアにある、とある変態施設のスタッフだとしましょう。
その施設では「夢の国」というテーマ・世界観で、訪れる人のために、化け物の着ぐるみや、数々の奇怪なショーやパレードといったアトラクションを用意しています。
見せる
来客のために用意しているこれらの数々は、「見せる」です。そのものを直接示すからです。
見させる
一方、その施設のテーマ「夢」であれば、「見させる」です。そこで夢そのものを直接示しているわけではないからです。
用意されているあれこれは「夢のような」何かかもしれませんが、決して夢そのものではありません。来客はそこから言わば勝手に夢を見ます。
中間まとめ
「強制性」と「直接性」の2つが大きな焦点であるところが慰安婦論争とよく似ていますが、他人のそら似です。
(2)「見る」側から
今度は反対に、見る側の方から述べます。
2つの基準
2つの基準を、程度の強弱と「見{せ|させ}る」の区分とが共通するように整理するとこうなります。
- 自発性
- 直接性
自発性
自発性の度合いが強いと「見せられる」「見せてもらう」、
弱ければ「見させられる」「見させてもらう」です。
直接性
直接性の度合いが強いと「見せられる」「見せてもらう」、
弱ければ「見させられる」「見させてもらう」です。
対象の事物の話なので、「示す」側のケースと共通です。
両者の関係
自発性と直接性の両者は、ANDの条件となります。どちらかが弱いと、「見させられる」「見させてもらう」に傾きます。
自発性・直接性
まとめると、「見る」側からはこうなります。
-
- 自発性・直接性の
- どちらも強い → 見せられる、見せてもらう
- 片方または両方が弱い → 見させられる、見させてもらう
例文で確認
「見る」ものをいくつか用意して、例で確認していきましょう。
(1)モビルスーツの性能
例を考えて自分が最初に思い浮かんだフレーズです。
見せてもらおうか、連邦軍のモビルスーツの性能とやらを
―機動戦士ガンダム・第2話「ガンダム破壊命令」(1979)より
ここでの「見る」対象は「連邦軍のモビルスーツの性能」です。
発言者は、噂に聞き及んだそれ(性能)そのものを直接、自発的に見たがっています。
見せてもらう
よってここで適切なのは、上にあるとおり「見せてもらおう」です。
見させてもらう
これが仮に「見させてもらおう」だったなら、誰かの指示に基づいて見たがっているというニュアンスを帯びます。
やらされ感が漂うことで、やや残念な言い回しとなります。
(2)子供に英会話のDVD
「子供に英会話のDVDを…」という場合を例にするなら、
- 子供(働きかける相手)の自発性が十分に強ければ「見せる」ですし、
- そうでなければ「見させる」です。
ひとつイヤなことを言うと、どちらでも大した効果はないと思います。
(2’)母に食事
また、「見る」動作からは外れますが、
- 母に食事を食べさせる
という使役の形も同様の基準で解釈出来ます。
ここでは行為者(母)の自発性が弱いため、発話者がそれを手伝っているというニュアンスを持ちます。
(3)ラブラブぶり
直接性を含めて検討するため、「ラブラブぶり」というやや抽象的な対象を例に考えます。
見せられる
目の前でその当事者が直接示しているなら、それは「見せられる」でしょう。
見させられる
そうではなく、当事者の全員がその場にいない場合、たとえば、写真で間接的に示された場合なら「見させられる」もありかもしれません。直接性が弱まるためです。
また、一般に他人のラブラブぶりなど自発的に見たいものではないので、そちらの要因で「見させられる」に傾くとも考えられます。
付記:語尾にも影響
また、この記事の主題ではありませんが、「見る」側のそうした自発性の程度の差が、語尾の「~せてもらう」と「~せられる」の違いにも表れてきます。
敬語表現での注意
ここに敬語表現がからむと、一段とややこしくなります。一層の注意が必要です。
その「見させて」は適切か?
「相手から示された事物を見る」という自身の行為を敬語表現にするとき、へりくだっているつもりで
- 見させていただく
とすることには、相応の注意が必要です。
なぜならそれは、次のどちらかの意味となりうるからです。
- 見る自分が、実は「見たい」という自発的な意志を持っていない
- こちら側は「見たい」が、相手側に「見せたい」という積極的な意向がない
実際にそのとおりかを自らに問い直してみることをお勧めします。注意しましょう。
例で考える
何をどういう状況で「見させられて」いるかによって、その表現が適切であるかを判断しなくてはいけません。
2つの例で検討してみます。
1)「面倒」を見させていただく
たぶん適切です。
人は一般に、できる限り誰かに面倒を見られたくない、厄介になりたくないという意志があるためです。
上の2.のケースに相当します。
※日本語での話なので、人=日本語を話す人 という想定でのもの言いです
2)「作品」を見させていただく
恐らく、適切ではありません。
一般に、作者にとって作品は見てほしいものだからです。
ただし、もしも提示する側があなたに限っては見せたくないという状況があるなら、「見させていただく」でもオッケーです。
中間まとめ
「見せてもらう」「見せていただく」が適切と思われる文脈で「見させて―」となっている用例がしばしば見られます。
くり返しますと、「見させて―」が適切なケースとは、
- 自分が見たくない
- 相手が見せたくない
ような状況があるケースです。
しかしそうでないのなら、「見せて」の方が適切である可能性があります。今一度確認しましょう。
想定される反論への回答
と書いていると、ひょっとすると
「私みたいな者にお見せしたくはないかもしれませんが」という謙遜するニュアンスが入っている。だから「見させていただく」でよい。
そういう旨の反論もあるやもしれません。先回りして申し添えておきます。
回答:過剰です。
それでも「見させていただく」とする必要はありません。過剰です。謙譲の意味は、「いただく」に十分含まれています。
敬語表現はたくさん入れればよいというものではございません。「過ぎたるはなお…」であります。
まとめ
「見せる」「見させる」の使い分け方、その要点をくり返しておきます。
両者を使い分けるには、その行為に係る
- 行為者の自発性
- 対象となる事物の直接性
の2点について判断します。
示す側
見せる
自発性・直接性とも相応に強いと認められる場合には「見せる」を使います。
見させる
どちらか一方でもそう認められない、程度の弱い場合には「見させる」となります。
対象を直接ではなく、対象を通じて別の何かを示している場合も、同じく「見させる」になります。
見る側
また「見る」側からも、同じく行為に対する自発性をどの程度強く持っているかで分かれますす。
それを自発的に見たいなら「見せられる」、そうでないなら「見させられる」です。
むすび
それでは、変質者の方もそうでない方も、ナイスな「見せる」「見させる」ライフをお過ごしください
ご静聴ありがとうございました。
コメント
とてもわかりやすくて、非常に勉強になりました。ありがとうございました。
不勉強かつ、理解力が欠如していて申し訳ないのですが、もしよろしければ質問にお答えいただけないでしょうか。
「見させていただく」についてなのですが、謙譲の表現に、「動詞+させていただく」で、「(相手の許可を取って)何かをする」というものがあったように思います。
「見させる+いただく」と「見る+させていただく」について、違いがあるかどうか、また違う場合に見分け方などあれば教えていただけないでしょうか。
さら様
コメントありがとうございます。
させる: 自分→相手
いただく:相手→自分
という方向性なので、使役+謙譲の形となる
「見させて+いただく」という解釈は成立しづらいように思います。