こんにちは。
ウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein, 1889-1951)のあの名言の日本語訳を並べて鑑賞します。
「7」日本語訳いろいろ
Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.
L. W.
Photographed by Ben Richards, 1947 from en.wikipedia.org
中公クラシックス版
語りえぬことについては、沈黙しなくてはならない。
山元一郎訳/ウィトゲンシュタイン『論理哲学論』(2001)
岩波文庫版
語りえぬものについては、沈黙せねばならない
野矢茂樹訳/ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』(2003)
光文社古典新訳文庫版
語ることができないことについては、沈黙するしかない。
丘沢静也訳/ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』(2014)
番外編:双葉文庫・“毒舌訳”版
能書き垂れるバカは抹殺すべし!
有吉弘行 『毒舌訳 哲学者の言葉』(2012, 2013)
なお、同書での元の言葉は
語り得ぬものについては沈黙しなければならない
となっています。
原文
冒頭に掲げた原文を再掲します。
Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.
“Logisch-philosophische Abhandlung” SIDE-BY- SIDE-BY-SIDE EDITION VERSION 0.41 (2014)
http://people.umass.edu/klement/tlp/のPDFから取りました。
最後発は「臆病な翻訳」
上記のうちで訳されたのが最も新しい「最後発」が、光文社古典新訳文庫版です。
「訳者あとがき」にいくつか興味を引かれることが書いてありました。
まず、同書の訳はこういうコンセプトだったようです。
日本語の『論考』にも、ドイツ語(の文法)に気をつけた、臆病でフラットな翻訳があってもいいのではないだろうか。 (p.165)
この文章で、訳者の丘沢静也さんは岩波文庫版の翻訳を「往年の大指揮者の演奏を思い出した。」とされ、「7」の翻訳をこのように評されています。
ん? その気になれば、語ることができるのだろうか。「せねばならない」には、お説教のにおいがする。 (p.165)
助動詞muß(つまりmüssen)の基本的な用法は、「選択の余地がこれしかない」。最後の文章を普通に読めば、「語ることができないことは、黙っているしかない」となる。 (p.166)
そうなんですね。はじめて知りました。
もちろんコンテキストによっては、「沈黙せねばならない」と読むこともできる。 (p.166)
という留保はありましたが、承っておきます。
私の場合、ドイツ語の文法談義をフォローするには時間がかかりすぎるので、検証する時間をけちって真偽の審議はすっとばします。
「語りえぬ」私家版
以上を総合すると
「語りえぬものには、沈黙するしかない」
とするのがいちばん好みかなと、ドイツ語の見識ゼロで、無謀にもでっちあげてみました。
書籍一覧
最後に、出典リストとしての書影リンク集です。
邦訳はほかにも何種類かあるようです。Amazonで見つけられた限りをピックアップします。
藤本隆志・坂井秀寿訳↓
奥雅博訳↓
中平浩司訳↓
木村洋平訳↓
気が向けばあたります。
コメント