こんにちは。
辞書や既存の検索結果を見てもよくわからない人のために、「冠水」と「浸水」の違いについて整理しました。
結論:Executive Summary
「冠水」と「浸水」。
どちらも、ある場所や物体が水につかっている状態をいいます。
ですが両者には、次の2つの点で明らかな違いがあります。
- その場所や物体の「通常」
- 必要な水の量
これらの違いを表にまとめておきます。
冠水 | 浸水 | |
その場所や物体の「通常」 | 水に濡れることもある | 水に濡れない |
必要な水の量 | 「トン」レベル | 究極には「1滴」 |
※水の来た方向 | 主に「上」 (天から) |
主に「横」 (天以外から) |
※加えて、例外もあるのですべてがそうではありませんが、「水の来た方向」についても上のような違いを認められる事例が多くあります。
序:「冠水」「浸水」どっち?問題
世間に、「冠水」「浸水」どっち?問題とでも名づけられる問題があることを知りました。
「冠水」と「浸水」の違いをよく把握できていない方が、少なからずいらっしゃるようです。
サンプル1:台風被害の後片付け
テレビのニュースで、台風19号(ヴァンフォン)通過で被害の出た大阪の岸和田市に取材に行っていました。
住宅だったか店舗だったか、建物の中から水をかき出しているおばさんが手を止めて、
近所の人が「冠水してるよー」ゆうて見たら水が…
みたいに話をしていました。
見ていて思いました。それを言うなら「浸水」だろう、と。
家屋は冠水しない(普通は)
家屋に対してはふつう冠水と言いません。
たとえば、NHKのニュース記事:岸和田市内で浸水のあと片付け|関西 NEWS WEB(2014/10/14付)でも、
13日夜に台風19号が上陸したとみられる大阪・岸和田市では、市の施設が浸水する被害を受け、職員が朝から後片付けの作業に追われています。
大阪府では南部を中心に住宅や建物約200棟が床上床下浸水の被害を受けました。
と、「浸水」しか使っていません。※下線は引用者
サンプル2:ツイッターの「マルチ質問」
こんなツイートを見かけました。
おや? たしか道路が冠水で住宅が浸水だったような気がしますが……。ちょっと手元に資料がないので、改めて報道と国交省の定義を調べてみます。ちょっとお待ちを。柳下“@slowcurve14: @ouraidou 1つ質問があります。今回、前回の台風のニュースで「冠水」「浸水」という2
— 校正・校閲の鴎来堂 (@ouraidou) 2014, 10月 14
調べてみても違いが把握できず、質問されているようです。
質問者のアカウントページを見てみると、他にも新聞社のアカウント2つ、@mainichi_kotobaと@nikkei_kotobaにも同じ質問を「マルチ投稿」されていました。あいにく、そちらからの返事はないようです(2014/10/15現在)。
(2014/10/17追記)@mainichi_kotobaからのリプライがあったようです。記事末尾に添付します。
官公庁の定義も辞書のコピペ
国交省が特別な定義をしているか、自分も調べてみました。
結論を言えば、特になさそうです。
気象庁での定義は、辞書のコピペでした。
気象庁の場合
気象庁の「河川、洪水、地面現象に関する用語」より引用します。
冠水は
田畑や作物などが水をかぶること。
浸水は
ものが水にひたったり、水が入りこむこと。
となっていました。
mlit.go.jpドメイン指定で検索してみても、これといった特別な定義は見当たりませんでした。
広辞苑の場合
広辞苑からです。
かん-すい【冠水】
洪水などのために田畑や作物などが水をかぶること。
しん-すい【浸水】
水が入り込むこと。水にひたること。また、その水。
気象庁の記述もここから取ったと考えられます。
主旨は、「特別の定義はない」ことの確認
ここでの主旨は「コピペ」の指摘ではなく、気象庁・国交省においても、「冠水」「浸水」の用法は一般の日常語と変わるところがないという点の確認です。念のため。
「冠水」「浸水」の違い
冒頭で述べたことをくり返しますが、「冠水」と「浸水」には、次の3つの違いがあります。
- その場所や物体の「通常」
- 必要な水の量
- 水の来た方向 (ただし例外もあり)
1.「通常」状態の違い
「冠水」「浸水」の両者を使い分けるための判断条件のひとつは、
- 通常、その場所や物体が、水に濡れることが有りうるか?
です。
水に濡れることもある場所/物体には「冠水」を使います。
通常水に濡れない場所/物体には「浸水」を使います。
水につかっていても「冠水」「浸水」ではない例
ですから水に濡れていることが「通常」である場所/物体には、冠水も浸水も使いません。
たとえば、戻した高野豆腐はだし汁につかっていますが、これを冠水とも浸水とも言いません。
だいたい「ひたひたのいい感じ」と言います。おいしくいただきました。
2.必要な水量の違い
「冠水」と「浸水」では、それが成立するために必要な水の量も違います。これも重要な判定条件です。
冠水の場合
「冠水」には相当量の水が必要です。通常時に水に濡れていることも「あり」なので、そこに、いつも以上に水がないといけないからです。
その場所なり物体なりが「水を冠する」状態に至らないといけないわけですから、量的に見積もってみるなら「トン」レベルだと思われます。
「冠水」の到達条件
「冠水」に到達する「いつも以上」を、少し詳しく書いてみると、
- その場所/物体の通常使用が不可能、または著しく困難な状態に至る水量
となるように思います。
浸水の場合
一方「浸水」は、究極には、水1滴あれば成立します。
通常水に濡れないところに水がやってくるわけですから、最初の一滴がやってきた時点で「浸水」スタートです。
「動」のニュアンスの有無、にも違い
ですから「浸水」には、「動」の意味合いもあると言えます。通常時はまったく水のないところへ、水が進攻してくるイメージも読み取れるからです。
一方「冠水」には「動」のイメージはありません。あくまで「いまここ」の状態の記述です。
3.水の来た方向 ※例外あり
例外も多々あるので条件としては弱いですが、「水の来た方向」についても、「冠水」「浸水」の使い分けを考慮する際に参考となります。
濡れるのはほぼ雨のせい
1.で挙げた「通常、水に濡れることがある」ケースを具体的に述べれば、大部分が「雨」です。
冠水は「上から」
よって、冠水の水は「上から」やってきたイメージです。「天から」と言ってもいいかもしれません。
降雨量が排水能力を上回れば、そこに降った雨だけで道路は冠水できます。
浸水は「横から」
「浸水」は、通常は水のないところに対して使います。雨に濡れることもありません。
ですから浸水の水がやってくる方向は、「横から」のイメージです。
ただし例外も多い
ただし例外もいくつもあります。たとえば、
- 埋めてある水道管が破損して道路が冠水したケース
- 地表から流れ込んだ水で地下鉄線路や駅構内が浸水したケース
です。前者は「下から」の冠水であり、後者は「上から」の浸水です。
中間まとめ
いったん整理します。
「冠水」と「浸水」は、水にひたっているその場所なり物体なりが
- 通常水に濡れることがあるか?
でまずは使い分けます。
また、通常時に水に濡れることも大いに有りうるケースで使う「冠水」が成立するには、水に濡れないところで使う「浸水」よりも、多くの水量が必要です。
よって両者を使い分けるには、ある場所や物体の「通常」を想起し、現在の「水量」の程度について、想起した通常時と比較考量する作業が必要となります。
なお上記2点と比べると「その水がどこから来たか?」は、やや弱い条件となります。しかしながら、使い分けを迷ったときに考慮に入れてよい事柄だと思われます。
練習問題
pixabay.comにある写真素材を借りて、「冠水? 浸水?」判定の練習をしてみましょう。
問1.
上の写真に写っている次の事物について、それぞれ「冠水」「浸水」を判定しましょう。
- 道路
- 自動車
- 家屋
私の答え
私の答えを書いておきます。
- 道路
「冠水」しています。 - 自動車
「冠水」も「浸水」もしていません。まだ通常時と同様に使えそうだからです。 - 家屋
辛うじて大丈夫そうですが、もしかすると一部では「浸水」しているかもしれません。
問2.
この土地はどうなっているでしょうか。
これは冠水ですか? 浸水ですか?
私の答え
私の答えは、「わかりません」です。
理由
土地の一部が水につかっていることは見て取れます。
しかし
- この状態が「通常」の範疇か
- この水がどこから来たのか
を判断しかねるからです。何も言えません。
まとめ・考察
まとめます。
場所/物体単位は、高卒レベルのわかり方
- 道路は「冠水」、住宅は「浸水」
基本的には、それで合っています。高卒レベルまでならその理解でいいと思います。
しかし、場所/物体単位で「冠水」「浸水」を使い分ける方法は、厳正さを欠きます。ことばの本質を見誤ってしまうやり方だからです。
「高卒理解」の限界―自動車の例から
《道路は「冠水」、住宅は「浸水」》式の覚え方は、少し考えを進めるとすぐ破綻することがわかります。
自動車を例に考えてみましょう。
結論を先に言うと、自動車は「冠水」も「浸水」もできるという、高卒レベルの理解にとって実に都合の悪い物体です。
想像上の実験として、自動車に雨を降らせてみればわかります。
思考実験:自動車に雨を降らせる
自動車に雨を降らせてみます。
少々の雨量では、なんてことはありません。
だんだんと単位時間あたりの降雨量を増やしてみましょう。
そのうち、道路が冠水します。水の抵抗が大きくなり、徐々に運転も困難になります。
やがて、通常水に濡れることのない車内に水が入ってきます。浸水です。ここまで来ると、運転するのも相当やばいです。
ついには、自動車も冠水し、運転不能となります。中にいる人は、そうなる前に早く逃げましょう。
実験結果
自動車は「浸水」したり「冠水」したりする。
道路や田畑も「浸水」する
道路や田畑も冠水ではなく、浸水することがあります。
道路や田畑が「浸水」できる条件とは、その場所が
- 通常時、水に濡れない場合
- 水が来た方向が「上から」ではない場合
です。
浸水する道路の例
浸水する道路とは、たとえば、首都高速道路の中央環状新宿線「山手トンネル」です。
この道路は終始地下を通っていますから、通常時、水に濡れません。もしも山手トンネルが水につかることがあれば、まずは「浸水」です。「冠水」するにしても、浸水の後です。
浸水する田畑の例
田畑の場合も、
- (雨以外で)通常水に濡れることがなく
- その水が「横から」やって来た場合
「浸水」と表現されます。
このような用例を見つけました。※下線は引用者
- 農地では浸水被害も・局地的に激しい降雨【名寄】|HOKKAIDO NEWS LINK(2014/08/05付)
名寄市内でも4日午後7時から降雨が続いており、降り始めから5日正午までの降水量は152・5ミリに達し、名寄市内の河川や水路では増水。農地では浸水被害が出ている。
農地に「浸水」被害が出ているということは、被害をもたらしたのはその農地に降った雨ではなく、もっぱら「横から」流れ込んできた水であることを意味します。
もし筆者がその意味で使っておらず、単に「そこに降った雨があまりに大量であるため、農地に損害を与えた」というつもりなら、ただの無教養です。その場合に適切なのは「冠水」です。
考察・なぜ「冠水」と「浸水」の判別は難しいのか?
そもそも人はなぜ「冠水」と「浸水」の区別があやふやで、使い分けに迷ってしまうのでしょうか?
思うに、その場所なり物体なりが水につかっている「現状」だけでは、区別ができないからです。
使い分けるには、
- 過去あるいは通常状態との対比
- その水がどこから来たかという判断
すなわち「記憶」「推論」が必要です。
前に「教養とは、識別能力のこと」(2014/01/13)という記事を書きました。
ここでも必要なのは、識別能力=教養なのでした。
ご静聴ありがとうございました。
(2014/10/17追記)
Twitterでマルチ質問されていた方に、@mainichi_kotobaからも返信があったようです。引用します。
@slowcurve14 辞書では「冠水」は「水をかぶってしまうこと」で「田畑」「作物」などに使う用例が多く、「浸水」は「水につかること」で「家」「床下」などの用例が多いですね。浸水だと一部、冠水だと全体がぬれるという感じもあるように思いますがいかがでしょうか。
— 毎日新聞・校閲グループ (@mainichi_kotoba) 2014, 10月 15
雑すぎる回答です。これなら答えない方がましです。
@mainichi_kotoba ご返信ありがとうございます。確かに、その物の「一部」か「全体」であるかによって識別すれば分かりやすいなと思いました。ただ細かいようですが、激しい洪水などで家全体が水の中に沈むように浸かってしまった場合でも「浸水」を使うのでしょうか?
— Vスライダー (@slowcurve14) 2014, 10月 16
「記憶」の観点の欠けたひどいやり取りに、ため息しか出ません。
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