はじめに:この記事について
去る9月26日(金)に、こちらの会に参加するため県境を越えて岡山へ行ってきました。
「『納品』をなくせばうまくいく」出版記念会 〜 [ビール|コーラ]片手に倉貫さんと語る会
参加した感想とその他もろもろをふわーっと書きます。主な想定読者は、当日ご一緒された方とその周辺です。
「地方」「ビジネス」「定年」を“大都会”岡山で考えた話
耳に留まったキーワードが3つありました。
- 地方
- ビジネス
- 定年
です。順に書いていきます。
地方
参加された方の口からしばしば出てきた単語が「地方」でした。開催案内にも、
地方での受託開発に危機感を感じている方
「是非ご参加ください」とありました。
「地方」の対概念としては「中央」、とりもなおさず東京があるのでしょう、たぶん。
いまの自分がソフトウェアの受託開発とまるで関係ないところにいるせいか、私も地方に住んでいますが、ふだんの自分が「地方」を口にすることはまずないです。意識することもほぼありません。
嫁と家族が東京在だから、こちらを「田舎」とはよく言うか。けれどもそれも、自分としては「地方」対「中央」という構図でのもの言いではないです。
地方に在る/居ることで中央から取り残され埋没してしまうのではないかといった、漠然とした不安や焦りがあるのかなと感じました。けれども、倉貫さんのように面白いことを実践されている方を地方の外から招くだけの視野と行動力があるのですから、その面では杞憂だろうと思います。
貧しい東京 vs. 豊かな地方
ざっくり聞いての理解ですので、事実誤認があればすみません。
倉貫さんのお話によれば、ソニックガーデンでは在宅勤務を認めているにもかかわらず、だいたいの方がオフィスに出勤してくるのだそうです。
会社として、オフィスを魅力的な場所にする努力の成果でもあるでしょう。プレゼンの中でも説明がありました。
けれどもより大きな要因として、
- 仕事できる場所が社員の自宅にない
と分析されていました。
住環境について言えば、概して東京(中央)は貧しく、地方は豊かです。
むろん、逆に地方が貧弱な点もいくつもあるでしょう。けれども今日、地理的制約からはほぼ自由であるソフトウェアの受託開発に関して、ハンディキャップとなる点は多くないように思いました。
岡山の天気予報
会のあいだ宿で留守番していた娘(厳密には違いますが、便宜上そう書いておきます)によると、テレビで見た岡山の天気予報は、
- 「岡山」と「倉敷」以外読めなかった県内各地の天気
- その右隣に、兵庫の天気
- さらにその隣に、東京の天気
だったそうです。
それで4年前、高松で見たテレビの天気予報のことを思い出しました。瀬戸内海をはさんで岡山の対岸にある高松では、香川と岡山の天気が映っていました。
各地の天気予報には、その地の「社会の窓」の範囲が反映されるというのが、現在の仮説です。
期待はずれだった「使用言語」
この会で交わされた話の内容ではなく、形式の側でいちばん面白かったのは、その“使用言語”です。
標準語でした。なので私もそれに合わせました。
方言の好きな私は、現地の路面電車内のCMで聞いた「魚がはねよるよ」みたいな言葉が飛び交うのかと期待していましたが、あてがはずれました。
ここらを探るには、岡山の人と業界の人の日常を知る必要があります。
なお「魚がはねよるよ」が何の宣伝だったかは知らないままです。
ビジネス
2つめは「ビジネス」、より直截に言い換えると「お金」です。
込み入った話になるとプログラミング関連の話題は自分の理解を超えるからでしょうか、より刺激になったのは、経営者目線からのお話でした。
簡単に言うと、何事にしろそれが事業として成立するのは、それにお金を出してくれる人がいるからなのですよね。
- 事業活動を維持するには「お金」が必要。
- そのお金は、つまるところ「人」が出す。
書いてみると当たりまえすぎる話ですが、この年になってやっと腑に落ちるようになりました。
ビジネスの中核とは、お金(マネー)とほぼ定義できそうです。
倉貫さん(ソニックガーデンCEO)のお話
「メインゲスト」倉貫さんは、こちらのブログ記事:
- ビジョンとミッションの大切さ 〜 ミッションの気付きとビジョンの見つけかた(2014/09/17付)
にあったスライドをベースに使ってお話しされました。
「地方」の話題に関しては、域内で閉じて考えるのではなく「お金は『有る』ところから引っ張ってくる」みたいに言われていました。
しごくシンプルに考えられているなと思いました。
たとえば岡山で同社の「ギルド」として活動されている方は、まさに「有るところからお金を引っ張って」います。東京圏のお客さんの仕事をして、数名規模ながらも当地にお金を持ってきています。
翌朝の倉貫さんのツイート
今すぐに自分たちだけではどうにもならないような変えようもない事実について語りあうのは、あまり意味があるとは思えない。未来にどうしていきたいかを共有し、そのために今できることは何かを語りあうのは、有意義に思える。現状を変えようとすることより、理想の実現のためにできることを考えたい。
— Yoshihito Kuranuki (@kuranuki) 2014, 9月 26
も、このあたりの「地方」と「ビジネス」論議をふまえてなんだろうな、と勝手に文脈を読んで納得しました。
石橋さん(ウェブクリエイティブ代表取締役)のお話
会にはあとひと方、会社経営に携わる方が参加されていました。会場としてオフィスの一角を提供されていたウェブクリエイティブ代表取締役の石橋さんです。起業して14年といいますから、年数としては倉貫さんより経験を積まれています。
お客様の「浮気」経験
石橋さんの話で印象に残っているのは、お客様の「浮気」です。長年付き合いを続けている顧客でも、ときに他社に気移りされることがあるのだとか。
浮気リスクは?
倉貫さんらの会社では、そういう経験はないそうです。お客さんの「浮気」があったら「もうやりませんよ!って言います」とされていました。もしかすると、ソニックガーデン社は創業からの年数がまだ浅いので、これから経験することなのかもしれません。
このあたり、「納品のない受託開発」のテーマと、関連して書いた「納品のない受託開発」という温故知新(2014/09/25)ともからめて、掘り下げてみたいところです。
小まとめ
部分的に雑駁な結論を出しておくと
- 人は変えられない
- 同じ「バス」に乗れる仲間選びが先で、目的地の決定は後
となりましょう。
「仲間」の見分け方
一般化して述べると、「最適解」かそれに近い「近似解」が見つかっており、それが実践できる環境もあるのに、それこそダレトク?な「誰も得しない、賢くないやり方」で進めなければならない。
そんな状況にストレスを感じるか感じないか。
どうもこれが、「仲間」を見分けるテストになりそうです。
短期的方針:仲間で盛り上がる
「仲間」でない側にことさら介入せず、そっち側の人たちのことはひとまずおいといて、まずは「仲間」同士楽しく盛り上がることが先決に思いました。
定年
私は久しく忘れていましたが、「定年」という言葉も耳に残りました。出てきたのは
- 定年を迎えてからの「定年プログラマ」を夢見ている
- 「プログラマ35歳定年説」
といった話題ででした。
倉貫さんは、「プログラマ35歳定年説」を逆手にとって、その年齢になったら会社を「卒業」してのれん分けさせていく仕組みを作りたい、みたいに構想を語られていました。
「先のこと」に対する姿勢
私はそれを聞いて、20年ばかり先の会社の姿までイメージされているのがどこか「アジャイル」っぽくないなと感じて、「あまり先のことは考えてもしょうがねーな」というのを、どこで線引きされているかを質問しました。
倉貫さんからは
- ビジョンはしっかり先まで
- 個別の行動はその場その場で
といったお答えをいただきました。わかりやすい考え方でした。
この考え方に照らすと、私はこれまで「あまり先のことは考えてもしょうがねーな」の使い方を間違っていました。それを、ビジョンの側にも適用させていたからです。
まずは「ビジョン」
私の場合、自身のビジョンがなお不明瞭なままです。それっぽいものがあるにはありますが、まだモザイクがかかったような状態で、その向こう側が結局判然としていません。
自分自身のビジョンが今なお不明確であるのは、誤った「あまり先のことは考えてもしょうがねーな」があったことは否めません。そこを改めて、よりクリアに明確にさせる必要があります。
付記:「老害」の判定基準
会での議題と直接関係ないことでひとつ、わかったことがあります。「老害」の判定基準です。
倉貫さんが使われていたスライドをシェアします。当該のスライド「20/22」が表示できているでしょうか。
「変化」を語る人、「変化」を提唱し謳う人や集団は世にあまたいます。
ただし、そこで示されている「変化」の内容をよくよく検討してみると、大きく2種類あることがわかります。
ひとつは、このスライドにある
- 変えるのは世界ではない、自分だ
もうひとつが、その正反対、真逆の
- 変えるのは自分ではない、世界だ
です。
老害とは
後者のパターン、すなわち、変化を自分以外の世界にばかり求めて、自分が変化する気がない人。
- 自分が変化する気のない老人が、自分以外に「変化」を要求すること
これを「老害」と呼べばいいとわかりました。
まとめ:「老益」を目指す
いつの頃からか、何か面白そうなところに首を突っ込むと、そこでの構成メンバーがもっぱら自分より年下の人ばかりになってしまっています。今回参加した会合もそうでした。
そこで老害に陥る弊を避け、畏るべき後生のプラスになることが、老いを迎えた者の務めとしての「老務」なのだろうと思います。老害とは逆の、社会に利益をもたらす「老益」を目指さないといけません。
さて、ブログにランダムに書き散らすいまの自分の生活は、理想に近いです。
ただひとつの例外が「お金」です。全然金になりません。重大な問題です。
引っ張れるお金が見つけられません。持続させるならどこか変えないといけないのでしょう。むろん、その変えるべき「どこか」とは、自分に求めないとならないものです。
とりあえず「定年」はいらないです。
こちらからは以上です。ご静聴ありがとうございました。
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