こんばんは。林修ナイトの時間です。
林さんのブログ「いつやるか?今でしょ日記」に埋もれている「いい記述」を2つ掘り起こしておきます。
ひとつは「良い記述」、もうひとつは「どうでもいい記述」です。
きっかけ
録画していた「マツコ&有吉の怒り新党」を見ていたら、マツコ・デラックスさんがゲイの使う「男の体形」の呼び名を細かく紹介されていました。
別途記事にしました。
その分類は、“最終形態”の「死」まで含めると全10段階に分かれ、実に子細かつ体系的で、大変参考になりました。
それで「確か林さんも、ブログにそんな話を書いていたな」と思い出して、過去記事を探してみました。
「有名人ブログあるある」
ところが記事一覧を見ても、その話がどこに書いてあったかを見つけられません。
林修さんのブログも、
- エントリ内容のわからないタイトルつけがち
という「有名人ブログあるある」ど真ん中だからです。
また、言い回しや用語もはっきりと覚えていなかったので、キーワードでの検索もできません。
そんなに古くはなかったはず、と、2013年後半から2014年へと記事を順に読み返して、ようやく見つけられました。
良い:林修さんによる「分節」の話
こちらが、「良い記述」の方です。
一週間が過ぎて、あえて今、「3月11日」を考える|いつやるか?今でしょ日記(2014/03/20付)からです。
「分節」は関心に連動する
人は、自分の関心のあることは細かく分け(こうやって分けることを「分節」と言います)、一方で、無関心なことに関しては、ひとまとめで見てしまう(=連続体として捉えてしまう)ものです。
「分節」という用語法が適切かは保留しますが、わかる話です。
マツコさんが番組の中で言っていた、ゲイによる「男の体形」の「分節」も、実に細かかったです。
<例>
僕は採点する際の赤ボールペンは、0.7ミリの水性のものと決めています。しかし、他の方から見れば『そんなの同じボールペンじゃないか』となってしまいます。
また、あるアイドルグループのファンから見れば、ひとりひとりが絶対的に異なる存在であっても、興味のない人は「みんな同じ顔に見える」と平気で言い放つものです。
「分節」に生きざまが表れる
何をどう分節するか―そこに、その人の興味や関心が、大げさに言えば、生きざまが表れるものです。
だから、僕はふだんから、「この人は、ここを細かく分けるんだな」とか「この人にとってこの二つは、「同じ」なんだと、その人の「分節」を注意深く観察します。それは、その人そのものを正面から受け止めることでもあるのです。
手前味噌ですが
僕も、前に類似のテーマで考察を進めた結果、
- 究極には、この世に「同じ」はない。あるのは「同一視」だけ。
どうでもいい:模試作成のこと
こちらは「どうでもいい」方です。
零細な当ブログにも、林さんの“あおり”で、ここ数日「林修 ブログ」での検索流入が増えております。
なんでも、一度は担当に復帰された予備校での模試作成を再び降りられたとのこと。
ブログの次の一連のエントリに経緯が記されています。
- ご質問にお答えします。(2014/09/21付)
- おや、おや(2014/09/22付)
また参考意見(2014/09/23付)として、東進ハイスクールの“同僚”である志田晶さんのブログ記事を紹介されています。
他人のもめ事が好きな人、かつ、この話を「もめ事」と認識する人が、世の中には多いようです。
経緯の整理
当事者の片側のみからですが、「ご質問にお答えします。」から経緯を整理しておきます。
一昨年まで僕はずっと一人で東大本番レベル模試の現代文の問題を作成し
だから、僕自身も、今年作成に復帰して、かなり意気込んで取り組み、実際、第1回はまずまずの問題を提供できたのではないかと思っております。
整理すると、林さんは、
- (2012年度まで)模試の問題作成を担当
- (2013年度)外れる
- (2014年度)第1回を担当したが、第2回以降は担当しない(+今後も)
という話のようです。
復帰の理由(2014年度初め)
林さんが、一度は外れた模試作成に今年度復帰されたのは、学生スタッフへの厚い信頼もあったとみられます。
四月からの新番組(2014/03/05付)にこんな記述がありました。(これも記事内容がタイトルと無関係ですが、有名人は「あり」です。)
うちの東大特進スタッフのレベルの高さには驚愕の連続です。東大のなかでもトップの学力があれば、キャリアとは全く無関係に、いとも簡単に入試現代文を教えることができるんですねえ。例えば今日の授業でも、文章に出てきた「退廃芸術」の説明をさらっとやってのけるのを見て、生徒も唖然。美術系の学生ならともかく、理系ですからねぇ。
それだけではなく、彼らが作った問題は、世に流布している、「東大」を僭称する模擬試験の問題とは質的に異なるもので、実に「東大的」なんです。
そう、美しいんですよ。僕が作問を離れて以来悪評紛々だった東進東大本番レベル模試の作成に復帰してもいいと思ったのは、彼らの協力の確約が得られたから、というよりも彼らの作る真に「東大」的な問題を、埋もれさせるわけにはいかないという思いもあったからです。
※下線は引用者
模試問題作成に係る(どうでもいい)「騒ぎ」まとめ
総合すると、模試作成業務の担当変更は、予備校業界ではさほど珍しいことでもなさそうです。
そして模試の問題が「東大的」かという「分節」も、部外者には限りなくどうでもいいことでした。
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