こんにちは。
ハイレベルすぎて伝わらない話をします。
問い:それとこれとは同じか?別か?
よく
「それとこれとは同じだ」
とか
「それとこれとは別だ」
とかいう。
どっちも使う。どっちもありうる。どっちもどっちだ。
では、それとこれとは同じなのだろうか?別なのだろうか?
BGM
東京 ソウル ロンドン ニューヨーク
気ままに 世界をDrive tonight
各地で披露するNew Style
見たことないものだけ見せたげる
少女時代の《MR. TAXI》(2011)を聴きながら、気ままにそんなことを考えた。
Girls’ Generation 소녀시대_MR. TAXI_Music Video (JPN ver.)(2012/04/03付)
気ままに考える、東京・ソウル・ロンドン・ニューヨーク
レベルを下げて、次の4つの具体例で考えていく。
- ビッグマック
- 川の水
- 単3電池
- 中森明菜
ビッグマック
各地で手に入るものの代表格として、マクドナルドのビッグマックで考える。
※画像は、メニュー情報>ビッグマック(mcdonalds.co.jp)より
各地で披露されるビッグマックは「同じ」だろうか? それとも、違う「別」ものだろうか?
たとえば、値段。
2012年1月のデータだが、『The Economist』誌の「The Big Mac Index」によると
- 日本 320円($4.16)
- 韓国 3700ウォン($3.19)
- 英国 2.49ポンド($3.82)
- 米国 $4.20
らしい。
各地で披露されるビッグマックは「同じ」だろうか? それとも、違う「別」ものだろうか?
川の水
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
鴨長明『方丈記』(13世紀前半)の書き出しである。
隅田川 漢江 テムズ川 ハドソン川
各地のどの川も、そのながれは絶えず、しかも元の水ではない。
しかし、本当にそうだろうか?
もしも「水トレーサビリティーシステム」があったら
この世の水素原子と酸素原子のすべてにタグが付いていて、追跡ができるようになっている「水トレーサビリティーシステム」があるとしよう。
何桁のIDを用意すればいいかわからないけれど、たとえば水の分子なら、
- <水素原子2個に>
- H#zaq1x……0
- H#zaq1x……1
- <酸素原子1個に>
- O#lo9p0……0
みたいにIDが付いて、水分子H2Oとなっている。という具合である。
水は世界を回っている(だろうと思う)。
ある日あるとき別々に採取した各地の川の水から、いずれもこの水分子が得られたとしよう。
それは「元の水」ではないか。どの川の水も同じだったと言えないか。
単3電池
3週連続第1位の中森明菜さんですが、とにかくいちばんよく使う乾電池は単三だそうです。
アナログタロウによる、中森明菜《DRESIRE -情熱-》(1986)の曲紹介の文句である。
乾電池の規格は世界共通だ。
各地で披露する単3電池は同じか。別か。
中森明菜
たとえば、
東京 ソウル ロンドン ニューヨーク
どこへ行っても明菜は明菜だ。
と言えるし、また
《DESIRE》の頃中森明菜は輝いていた。1986年は明菜の年だった。けれど、あの明菜はもういない。
とも言える。
それぞれの中森明菜は同じか別か。
解答編:それとこれとは同じか別か?
以上の例から、「それとこれとは同じか別か?」に対して、次のような答えが導けた。
答え方は2つある。
答え1:「別」
具体的な存在者のレベルで判断すれば、この世のありとあらゆる存在はすべて「別」だ。違う。
東京のビッグマックとソウルのビッグマックは違うし、ロンドンの単3電池とニューヨークの単3電池は別ものだ。「昨日の自分」も、もはや存在者として実在しないという意味で、今の自分とは別人だ。
この世の具体的な存在者はすべて違う。あるのは「同一視」だけだ。
「具体的な存在者」は、オブジェクト指向の言葉で「インスタンス」と言い換えてもよさそうだ。
つまり、インスタンスのレベルで「同じ」は存在しない。
同一視の例
つい先ほど、
「具体的な存在者」は「インスタンス」と言い換えてもよさそうだ。
と述べた。
「具体的な存在者」と「インスタンス」の両者は別の言葉だ。しかし言い換えられるとしたのは、言葉として両者を「同一視」しているからだ。
答え2:「同じ」
一方で「それとこれとは同じ」とも言える。「同一視」している見方だ。
先ほどの例なら、どれも同じ「ビッグマック」「川の水」「単3電池」「中森明菜」となる。
存在者として別々であるはずの何かを「同じ」と言えるのは、両者のなかに、なにか抽象化された概念上の共通項を見つけ出しているからだ。
オブジェクト指向の用語で言えば、「クラス」(属性)に対してとなる。
発見事項:「同じ」の2分類
以上から、同じ「同一視」であっても、細かく見れば次の2つのパターンが存在することがわかった。
1)個別性(差異)ではなく、共通性に注目しているパターン
このパターンは、前述のEconomist誌の「The Big Mac Index」がそうだ。
厳密に見れば、世界各地のビッグマックは違う。別のものだ。
たとえば東京のマクドナルドで3700ウォン出してもビックマックは手に入らない。逆もまたしかりだ(たぶん)。なぜなら各地のビッグマックはインスタンスとして別ものだからである。
しかし同誌のインデックスでは、そうした個別性には目をつぶり、各地のビッグマックを同一視して比較考量している。その前提がないと、成立しない。
2)差異(個別性)が認識できないパターン
もうひとつは、インスタンスの差異を認識できない、「どれも同じに見える」というパターンだ。
「どれも同じ」には、先天的な能力不足でいかんともしがたいケースもある。たとえば紫外線レベルで言えば、モンシロチョウのオスとメスの体の「色」は全然違うらしい。しかし人間は紫外線を「色」として認識できないので「どれも同じに見える」。
だが大半は、識別能力を獲得できていない「後天的な能力の欠如・無能力」のケースだろうと思う。
おっさんになると、若いアイドルの見分けがつかないというのが、わかりやすい例だろう。
「○○なんてどれも同じ」というのは、このパターンでのもの言いであるケースが多いと言えそうだ。
おわりに
「どこへでも自由自在よ」とばかり、MR.TAXIに流されるままに、だらだらとハイレベルすぎて伝わらないに違いない話を書いてしまった。
自由自在よ―イデア論か?
ふと思ったが、これがプラトンが「イデア」と呼んだものの正体だろうか。
なんて書くと、「ぜんぜん違う」とのツッコミがありそうだ。
そのとおりだ。僕はプラトンではない。
けど簡単には―MR. TAXIのカバー
ところで、UNCHAINという日本のグループが《MR. TAXI》をカバーしている。少女時代よりも、僕はこっちのバージョンの方が好きだ。
UNCHAIN / MR.TAXI(2012/12/31付)
BPMにしてどれぐらいだろうか、「同じ」曲をややアップテンポにして歌っている。そこを含め、元のバージョンよりずっとスタイリッシュでかっこいい。
とてもセンスがいいのに、動画以外にこのグループのことは聞いたことがない。もっと売れてほしい。
けど簡単にはいかないのよ
まさにスーパーソニック
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