トップ5:青空文庫の「漢字一文字タイトル」作品に多く使われている漢字は?

こんにちは。「たぶん残さず数えてみた」シリーズです。

青空文庫の公開作品から「タイトルが漢字一文字」のものを抽出し、「かぶりがちな漢字」をランキングにすると、面白い結果になりました。

2014-06-23_china-20152_640

ある意味で想像を超えてきました。

ごあいさつ

いま、短いものブームが来ています。年を取るにつれてどんどんこらえ性がなくなっているためです。

文章も長いと飽きます。長いものに付き合わされるのも、巻かれるのもイヤです。

さっそく飽きてきました。発表します。

「漢字一文字タイトル」集計結果

青空文庫で漢字一文字の作品を数えたところ、全部で295ありました。(2014年6月調べ)

算定基準

「一文字タイトル」に入れるかどうかの算定基準は、「漢字一文字」以外に次のとおりです。

    <カウント対象>

  • 翻訳作品
  • 副題付きのもの
    <カウント対象外>

  • 「文字・かな遣い」の新旧のみ違うバージョン

「かぶり」有無の区分

295作品を、「かぶり」=同名タイトル作品の重複の有無で区分すると、

  • 「かぶり」あり(複数の同名作品あり):179
  • 「かぶり」なし(1作品のみ):116

となりました。

そこでどの字がよくかぶっているのかを、ランキングにしました。

【ランキング】漢字一文字タイトルの「文字かぶり」トップ5(青空文庫)

カウントダウン方式で進めます。

第5位 (5作品かぶり)

3つあります。順不同です。

第4位 (6作品かぶり)

第3位 (7作品かぶり)

第2位 (10作品かぶり)

第1位 (12作品かぶり)

講評 兼 中間まとめ

結果論ですが、ランキング入りした文字

  1. 蛍/窓/父

は、まあ順当と言えば順当です。

の光父母思う

みたいな、ベタベタな例文も作れますし。

それでも「なるほど」ではなく「お、おう…」という印象です。

タイトルに使用する文字としては順当に思えても、具体的な作品と結びつけてイメージしづらいからでしょうか。

そこでもう少し情報を加え、リストにもしておきます。

「漢字一文字タイトル・文字かぶりランキング」トップ5入り作品一覧

ランキングと同じくカウントダウン方式で進めます。

著者『題』(初出年)※不明時は没年*

書き出しの1文目。

のスタイルで記します。

初出年の古い順に並べておきます。

第5位 (5作品かぶり) 蛍・窓・父

上村松園『』(1918)

この図を描くに至つた動機と云ふやうな事もありませんが曾(かつ)て妾(わたくし)は一茶(いつさ)の句であつたか蕪村(ぶそん)の句であつたか、それはよく覚えませんが、蚊帳(かや)の句を読んで面白いと思つて居りました。

牧野信一 『 』( 1922 )

「今夜こそ書きませう。

桜間中庸 『 ――童話風景――』( 1936 )

葉の葉かげにポツチリと/青い瓦斯燈つきました

萩原朔太郎 『 』( 1942 * )

ああきみは情慾のにほふ月ぐさ、

織田作之助 『 』( 1944 )

登勢(とせ)は一人娘である。

芥川竜之介 『 』( 1919 )

――沢木梢氏(さはきこずゑし)に――

ボードレール 『 』( 1925 * ) 富永 太郎訳

開いた窓の外からのぞき込む人は決して閉ざされた窓を眺める人ほど多くのものを見るものではない。

堀辰雄 『 』( 1930 )

或る秋の午後、私は、小さな沼がそれを町から完全に隔離してゐる、O夫人の別莊を訪れたのであつた。

リルケ 『 』( 1941 )堀 辰雄訳

バルコンの上だとか、/窓枠のなかに、/一人の女がためらつてさへゐれば好い……

鷹野つぎ 『 』( 1943 )

窓というものが、これほどたのしいものとはまだ知らなかった。

芥川竜之介 『 』( 1916 )

自分が中学の四年生だった時の話である。

横光利一 『 』( 1921 )

雨が降りさうである。

金子ふみ子 『 』( 1926 * )

私の記憶は私の四歳頃のことまでさかのぼることができる。

矢田津世子 『 』( 1935 )

居間の書棚へ置き忘れてきたという父の眼鏡拭きを取りに紀久子が廊下を小走り出すと電話のベルがけたたましく鳴り、受話機を手にすると麻布の姉の声で、昼前にこちらへ来るというのであった。

太宰治 『 』( 1947 )

義のために、わが子を犠牲にするという事は、人類がはじまって、すぐその直後に起った。

第4位 (6作品かぶり) 母

ネグリ 『 』( 1909 ) 上田敏訳

わが生(せい)の奧深く、微かなる聲(こゑ)のわれを呼ぶを感ず。

芥川竜之介 『 』( 1921 )

部屋(へや)の隅に据えた姿見(すがたみ)には、西洋風に壁を塗った、しかも日本風の畳がある、――上海(シャンハイ)特有の旅館の二階が、一部分はっきり映(うつ)っている。

坂口安吾 『 』( 1932 )

畏友辰夫は稀に見る秀才だつたが、発狂してとある精神病院へ入院した。

宮本 百合子 『 』( 1935 )

この六月十三日に、母は五十九歳でその一生を終った。

太宰治 『 』( 1947 )

昭和二十年の八月から約一年三箇月ほど、本州の北端の津軽の生家で、所謂(いわゆる)疎開(そかい)生活をしていたのであるが、そのあいだ私は、ほとんど家の中にばかりいて、旅行らしい旅行は、いちども、しなかった。

長谷川伸 『 』( 1963 * )

『畸人伝』にもあるが清元の『保名』にもその名が残っている小西来山に、だれでも知っているだろう句がある。

第3位 (7作品かぶり) 雪

山村暮鳥 『 』( 1921 )

きれいな/きれいな/雪だこと/畑も/屋根も/まつ白だ/きれいでなくつて/ どうしませう/天からふつてきた雪だもの

芥川竜之介 『 』( 1925 )

或冬曇りの午後、わたしは中央線(ちうあうせん)の汽車の窓に一列の山脈を眺めてゐた。

岡本かの子 『 』( 1932 )

遅い朝日が白み初めた。

中谷宇吉郎 『 』( 1938 )

この本は雪の結晶について私が北海道で行った研究の経過及びその結果をなるべく分りやすく書いたものである。

高祖保 『 』( 1942 )

十月。

津村信夫 『 』( 1944 * )

信州はお隣りの越後の国にくらべると、あまり雪の多いところではありません。

中井正一 『 』( 1952 )

朝から、空は暗く、チラチラ窓のふちから、雪が散りこぼれて來た。

第2位 (10作品かぶり) 春

山村暮鳥 『 』( 1921 )

のろいな/のろいな/なのはなの/はたけのなかをゆく汽車は/ひら/ひら/ひいら/あとからその汽車/追つかける蝶々(てふてふ) ※全文

宮本百合子 『 』( 1925 )

硝子戸に不思議に縁がある。

芥川竜之介 『 』( 1925 )

ある花曇りの朝だった。

豊島与志雄 『 』( 1926 )

五月初旬の夜です。

竹久夢二 『 』( 1926 )

時/ある春の晴れた朝

横瀬夜雨 『 』( 1934 )

露じもの降りる朝もあるにはあるが、木の芽稍ふくらんで暖かい日和の續く三月。

牧野信一 『 』( 1935 )

日暮里の浅草一帯から、大川のはるか彼方の白い空がいつもほのぼのと見渡せる、その崖のふちの新しい二階家の――どうしたことか、その日は、にわかな荒模様、雨や雪ではなくつて、つむぢ風の大騒ぎだつた。

岡本かの子 『 ――二つの連作―― 』( 1936 )

加奈子は気違いの京子に、一日に一度は散歩させなければならなかった。

長谷川時雨 『 』( 1937 )

昨夜(ゆうべ)、空を通つた、足の早い風は、いま何處を吹いてゐるか!

太宰治 『 』( 1946 )

もう、三十七歳になります。

第1位 (12作品かぶり) 夢

森鴎外 『 』( 1889 )

カントが発狂の階梯だと恐れた夢を自身に検究する事に再び着目したるは、新約克のジユリウス、ネルソン Julius Nelson です、

正岡子規 『 』( 1899 )

○先日徹夜をして翌晩は近頃にない安眠をした。

吉江喬松 『 』( 1909 )

不圖(ふと)昔の夢が胸に浮んで來た。

相馬泰三 『 』( 1912 )

そとは嵐(あらし)である。

寺田寅彦 『 』( 1922 )

石の階段を上って行くと広い露台のようなところへ出た。

南部修太郎 『 』( 1925 )

五月のある晴(は)れた土曜(えう)日の夕方(かた)だつた。いつになく元※[#「气<丿」、U+6C15、24-1-2]のいい、明るい顏付(かほつき)で勤(つと)め先から帰(かへ)つて※[#「未」の「二」に代えて「三」、24-1-3]たM会社員(くわいしやゐん)の青木さんは、山の手(て)のある靜(しづ)かな裏通(うらとほ)りにある我家(わがや)の門口をはひると、今まで胸むねに包(つゝ)んでゐたうれしさを一時(じ)に吐(は)き出すやうにはしやいだ声(こゑ)で奧(おく)さんの名を呼よんだ。

芥川竜之介 『 』( 1926 )

わたしはすっかり疲れていた。

豊島与志雄 『 』( 1933 )

幼時、正月のいろいろな事柄のうちで、最も楽しいのは、初夢を待つ気持だった。

リルケ 『 』( 1935 ) 堀辰雄訳

私は少女を搜した。

桜間中庸 『 』( 1936 )

美しい夢を見た。

萩原朔太郎 『 』( 1942 * )

夢と人生 夢が虚妄に思はれるのは、個々の事件が斷片であり、記憶の連續がないからである。

原民喜 『 』( 1951 * )

彼はその女を殺してしまはうと決心しながら、夜更けの人足も薄らいだK――坂を登ってゐた。

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