こんにちは。用件はタイトルのとおりです。
ナンシー関(1962-2002)
※画像はNANCY SEKI’s FACTORY『ボン研究所』より
すべて敬称略でまいります。
この記事で言いたいこと
3つあります。
1.「テレビを見る」とは
ナンシー関と同じ態度でテレビを見る。
それが本当の意味での「テレビを見る」という行為であり、最も厳格な「テレビを見る」の使い方です。
2.「顔面至上主義」とは
「同じ態度で」とは、すなわち、彼女の謳った「顔面至上主義」で見るということです。
「顔面至上主義」をかみ砕いて述べると、こうなります。
- 一人で見る
- だまって見る
- 見えるものだけを見る
- その見えるものをとことん見る
そうすれば、見えるものから見破れます。
3.現状認識と意向
ここから現状を述べるならば、世の中のほとんどの人は、テレビをまったく見ていません。見えてすらいません。
僕は、同じ見るなら本当の意味でテレビを見たいです。
日本人が知っておくべき《ナンシー関の「顔面至上主義」》
以下、ひと言ふた言はさみながら引用していきます。出典については後述します。
「人間は中味だ」とか「人は見かけによらない」という、なかば正論化された常套句は、(略)とんちんかんの温床になっている。
上で略した部分が「とんちんかん」の具体例となっています。こういう例文です。
「こぶ平っていい人らしいよ――(だから結構好き)」
「ルー大柴ってああ見えて頭いいんだって――(だから嫌いじゃない)」
今の視点では人選が若干時代がかった感じもしますので、イメージしづらければ、各自でイメージしやすい「いい人」「ああ見えて頭いい」人に適宜置きかえればよいかと思います。
で、ここからが白眉です。
いい人だからどうだというのだ。テレビに映った時につまらなければ、それは「つまらない」である。何故、見せている以外のところまで推し量って同情してやらなければいけないのだ。
しびれる啖呵です。
さらにしびれる「顔面至上主義」宣言です。 ※下線は引用者
そこで私は「顔面至上主義」を謳う。見えるものしか見ない。しかし、目を皿のようにして見る。そして見破る。それが「顔面至上主義」なのだ。
大向こうから掛け声が聞こえました。
胸に刻んでおきたいです。
あとは若干の補足事項です。
なお、この「顔面」は「上っ面(うわっつら)」という意味である。顔だけ、っていうのはちょっと辛いんで、全体のビジュアルというか見た目という意味ってことでひとつ。
承知しました。
出典情報
- 愛川欽也 大御所の正体は「小心者」
―『何をいまさら』(世界文化社1993, 角川文庫1998)に収録
僕は、横田増生『評伝 ナンシー関』(朝日新聞社2012, 朝日文庫2014)経由で知りました。
引用に使ったテキストは、手っ取り早くこちらの抜粋版から採りました。出典マニアなのにすまん。
Kindleでサンプルダウンロードをしたら、いの一番の「1」に入っていたおかげでお金落とさずに読めました。貧乏ですまん。
テレビの見方
『評伝 ナンシー関』からの孫引きですが、さらにこういうくだりもあります。 ※下線は引用者
テレビは一人で観なきゃだめですね。たまに誰かとテレビを観ると、みんなテレビ観る時こんなにうるさいのか、これじゃあ何にも観てないよって思う。私、絶対に何も言わない。だって「この人嫌い」って言ってる声で、何かが聞こえないわけだから
出典:『ナンシー関のボン研究所』(2003)
サッカーの季節にナンシーを想うということ
と、これみたいに言ってみます。
ナンシー関が他界した2002年は、奇しくも、彼女が蛇蝎の如く嫌っていたサッカーW杯の開催年でした。
しかもあろうことか、「Korea Japan」という地元中の地元開催でした(世界レベルで言えば)。そうそうめぐりあえることでもないのに、奇遇にもほどがあります。
2002年6月のラストマッチ:ナンシー関 VS. サッカー日本代表チーム
さらに何の因果か、彼女が亡くなった6月12日は、日韓大会開催のまっただなかでした。
日本代表チームの試合日程・結果と合わせて時系列順にリストにしておきます。
- 2002年6月
- 4日 対ベルギー戦(埼玉) 2-2で引き分け
- 9日 対ロシア戦(横浜) 1-0で勝利
- 11日 ナンシー関、帰宅途中のタクシー車内で意識を失う(午後10時ごろ)
- 12日 ナンシー関、搬送先の東京医療センターで死去。39歳。
行政解剖の結果、死因は虚血性心不全と診断される。 - 14日 対チュニジア戦(大阪・長居) 2-0で勝利
日本代表チーム、2勝1分けの勝ち点7でグループHを1位通過。決勝トーナメントに進出 - 16日 ナンシー関 通夜・告別式(青森・常光寺)
- 18日 決勝T1回戦 日本対トルコ(宮城) 0-1で敗退
きれいに組み込まれています。
そういうものは信じませんが、実に因縁めいています。
- <参照元>
- 『評伝 ナンシー関』
- Wikipedia 2002 FIFAワールドカップ
むすび:ナンシー関は生きている
あれからはや12年が経ち、また6月が訪れ、それと一緒にナンシーの知らない3回目のワールドカップもしれっとやって来ました。
日本代表チームの初戦である対コートジボワール戦を前に書き散らしてしまったのも、ひょっとするとどこかから彼女とFIFAに呼ばれたせいかもしれません。
ナンシー関は生きています。それが僕の結論です。
ご静聴ありがとうございました。
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