こんにちは。時事ネタに乗っかります。
この記事を書く主な目的は、自分の頭の中を整理するためです。話がよくわからないからです。
パート1.「なんだそれ」ニュースに思う
RSSを見ていたら、次のヘッドラインに目が留まりました。意味がわからないからです。
- J1:会見でバナナ、人種差別に抗議 鹿島・セレーゾ監督|毎日新聞(2014/04/30付)
読み始めました。
J1鹿島のセレーゾ監督が29日、試合後の記者会見で人種差別に抗議してバナナを食べる一幕があった。
バナナを食べることが、なぜ人種差別に抗議することになるのでしょうか?
こういう経緯らしいのですが。つづき。
問題の発端は27日、スペイン1部リーグバルセロナのブラジル代表DFアウベスが試合中に、客席から人種差別を意味するバナナを投げ込まれたこと。アウベスはそのバナナを食べることで抗議していた。
よくわからない話です。わからないのは、次の2点です。
- ピッチ上の選手にバナナを投げ込むことが人種差別を意味すること
- そのバナナを食べることが差別への抗議になること
わからないまま置いていかれた
わからない僕を置き去りにして、話は進んでいきます。別のWebニュース記事からです。
サッカーのスター選手らがバナナを手にした画像を次々とインターネット上に掲載している。人種差別に反対する意思表示だ。
出所:バナナ手に人種差別「NO!」 サッカーのスター選手ら|朝日新聞デジタル(2014/04/29付)
上の2点を解決する前に、新たに3つめのわからない点が出てきました。
- バナナを手にすることが人種差別に反対する意思表示になること
「ちょっと待って」と言いたいです。ついていけてない。
ひとつだけ、わかる話が
続けて読むと、ひとつだけわかる話が出てきました。
黒人選手に対して「サル」と呼んだりバナナを投げたりするのは典型的な人種差別行為だ。
- 黒人選手に対して「サル」と呼ぶのが人種差別行為であること
これはわかります。
しかし、こっちはわからないです。
- 黒人選手に対してバナナを投げるのが人種差別行為であること
疑問:バナナはサルの食べ物か?
思うに、自分の中に「バナナはサルの食べ物」≒「人が食べる物ではない」という認識がないからです。
バナナ観の違い
僕のバナナに対する認識はこうです。
- 非常に栄養価が高く、運動中の補給食として理想に近い食べ物
なので、発端となったバルセロナFCの試合の段も、全然違う意味に見えます。
わかる話に書き換えてみる
わからないので、わかる話に書き換えてみることにします。
たとえばこういう話だったら、「人種差別行為に対する抗議運動」の物語として理解できます。
- 世界には、オーストラリア人を「コアラ」と呼んで差別する人たちがいました。
- スペイン1部リーグの試合で、ピッチに立つオーストラリア人選手に観客からユーカリが投げ込まれます。
- 選手はそのユーカリの葉を食べることで、抗議の意思を示します。
- 賛同したサッカーのスター選手・監督らがユーカリの葉を手に口にした画像をインターネット上に掲載して、「We are all koalas」と、「人種差別にNO!」の意思表示をします。
架空の話ですが、これならわかります。ユーカリは人が食べるものではないからです。
パート2.バナナとスペイン
「バナナを食べる」の筋の悪さ
「みんなでバナナを食べる」というのは、「人種差別にNO!」を示す方法として、筋が悪いです。「それ、どこに向かって言ってんの?」という話になるからです。
それが差別に抗議する意思表示として有効なのは、「バナナは人間の食べるものではない」という認識を共有する集団に対する場合です。しかし、そのような認識を持つ文化や集団が実在するのでしょうか。
バナナについて少し調べてみました。
バナナの生産量は、フルーツ世界1位―世界バナナ事情概観
UNCTAD(国連貿易開発会議)のレポート(2012/05/09 最終更新)では、FAO(国連食糧農業機関)の統計データを用いてこう述べられています。
Some 1,000 varieties of banana trees have been identified in more than 150 countries, producing around 105 to 120 million tonnes (Mt) of fruit a year.
Of all the fruits, it holds first place by production volume
バナナの世界生産量は年間で1億500万~1億2000万トン(2009年)。フルーツのなかで、世界一だそうです。
大別すると、主にデザート用としてそのまま食べるスイートバナナ(Cavendish, dessert bananas)と、料理用バナナ(cooking bananas, plantain)とに分かれます。
※画像は、Wikipedia より
自分が「バナナ」と聞いてふつう思い浮かべるのが、画像いちばん右のバナナです。この品種を「キャベンディッシュ(Cavendish)」というそうです(Wikipedia「バナナ」による)。初めて知りました。
4社が支配
バナナは寡占市場です。UNCTADによれば、世界のバナナ市場の80%以上が、チキータ(Chiquita)、ドール(Dole)、デルモンテ(Del Monte)、ファイフス(Fyffes)の4社で占められています。
近く3社支配体制へ
さらに余談です。時期は書いていなかったですが、チキータとファイフスが合併するみたいです。
- Fyffes and Chiquita to create biggest banana firm|bbc.com(2014/03/10付)
- Top banana – Chiquita buys Fyffes|jp.reuter.com(2014/03/10付)
スペインのバナナ(は主に平地に降る)
さて、ことの発端の舞台、スペインの話です。
スペインには「バナナなど人間の食い物ではない」という文化があるのでしょうか?
なさそうです。
こちらのサイトによると、
As for prices, they are stable in the whole of Europe. In Spain the banana keeps stable around the 0.75-0.80 Euro/kg for quality brands. Bananas from Antilles (Martinique and Guadalupe) keep below the rest, at around the 0.60Euro/kg.
引用元:Spain: Banana prices on a high|freshplaza.com(2012/05/08付)
スペインのバナナ価格は、ブランドもので1キロあたり0.75~0.8ユーロ(約106~113円)、アンティル諸島産はそれより少し安くて0.6ユーロ/kg(約85円)とのこと。 ※1ユーロ=141円で計算
この同じページで、ありとあらゆるフルーツの小売価格が紹介されていました。ここでバナナだけが人間の食い物扱いされていないとは考えづらいです。
スペイン人もバナナ食ってるじゃん、たぶん。
事実:スペインのバナナ生産量は、EU諸国のシェア約60%
なお先述のUNCTADのレポートによれば、EU諸国のバナナ生産量60万トンのうち、カナリー諸島を含むスペインが35万2000トンと、60%弱を占めます(2009年)。
まさに「The Banana in Spain stays mainly in the plane.」(ヒギンズ教授&イライザ風)、スペインのバナナは主に平地に降るのです。
♪バナーナ、スペインで作ってーるじゃーん。ブラボー!
(My Fair Lady(1964)っぽく)
別の解釈の可能性
もしかして、投げ込まれたバナナってスペイン産だったのでしょうか?
だったらまた意味が変わってきます。
途上国差別?
UNCTADのレポートでは、こういう記述も見られました。
Of the agricultural products, the banana is the fourth most important food product within the least developed countries, being the staple food for some 400 million people
開発途上国のうち、およそ4億人にとってバナナは重要な主食だといいます。
とすると、ピッチ上の選手に向かってバナナを投げ込むというのは、「お前らみたいな貧しい開発途上国の人間はこれでも食ってろ」という意味に解釈できる。ということなのでしょうか?
だとしても、それをバルセロナFCの選手に対して行うのはナンセンスです。世界有数のサッカーリーグの、トップクラスに位置するチームでプレーするブラジル代表選手より、スペインの観客の方がよほど貧乏人だろうからです。
小まとめ
「ピッチ上の黒人選手にバナナ」は、人種差別の表現として非常に筋が悪いです。論理的整合が取れませんし、何より面白くない。「なにそれ?」です。
そこでバナナに乗っかって抗議の意思を示しても、輪をかけて「なにそれ?」になるだけです。そんなバナナ。
パート3.差別 vs 反差別
表だって異論の出ない主張のむなしさ
さて、「人種差別にNO!」は現代の人類社会にとって多数派の見解だと思われます。「人種差別反対」に公然と異議を唱える人は多くないでしょう。
中には「人種差別にYES!」という主張の集団も実在するのでしょうけれども、そういう集団やその成員が、21世紀のいま広く社会的支持を得られているとは考えづらいです。
どこに向かっているかよくわからない「人種差別にNO!」は、虚しいだけです。
「差別する自由」の境界を探る
「人種差別にNO!」というのは、スローガンとしてはわかりますが、議論を単純化しすぎています。
というのも、人種、に限らなくてもいいので、人種を含む「あらゆる差別はNO!」かというと、そうではないからです。といっても、別に「差別OK」とか「人種差別など存在しない」とか言いたいのではありません。
最小限度の「差別する自由」は保障しなければならないと考えるからです。
憲法上の「自由」で言えば、集会・結社や言論といった表現の自由は、最大限保障されなければならないにしろ、その自由は無制限ではありません。公共の福祉に反する場合は、制限がかかるでしょう。
一方、思想の自由、信教の自由はそれより制限がゆるいはずです。厳密な意味での「思想」「信教」に限られるのであれば、無制限と言ってもいいのではないでしょうか。
次のような例で考えてみます。
とある人種差別主義者を例に
たとえば僕が、人種差別思想を信奉しているごりごりのレイシスト、人種差別主義者としましょう。「人種差別にYES!」です。
※画像は、amazon.co.jpより
しかし、その思想を外部に一切表現せず暮らしているとします。たとえ世間で「人種差別にNO!」という運動が盛り上がっても、まったくの無反応です。この内心は誰も感知できません。その手段がないからです。
このケースでの人種差別思想・信条は自由です。この自由は侵せませんし、侵してはいけません。
差別を「撲滅する」という考え方は、解釈によっては危険です。
まとめ
発端となった「ピッチ上の黒人選手にバナナを投げ込む」という行為を「人種差別表現」の意味に解釈する場合、その真の問題とは、それが差別感情の表現形式として全然筋が通っておらず、かつ、まったく面白くないことです。
ですから、そこに呼応してみんなでバナナを食べて抗議の意思を示しても、全然面白い方向に向かいません。
もし、バナナを食べることが「人種差別にNO!」の意味ではなくて、「その差別表現、全然おもんないぞ」という意思表示のつもりならば、まだ話はわかります。
なので、そう受け取ることにしました。
より洗練された差別感情表現を求める、これは人類がやっていい努力だと思います。
ご静聴ありがとうございました。
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