ハンナ・アーレントぼくが「嫌煙は21世紀のホロコースト」と決めたらどんな顔するだろう

こんにちは。

とりとめなく《あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう》(岡村靖幸, 1990)みたいに言ってみる試みです。

映画「ハンナ・アーレント」の名脇役

半月以上前の話になりますが、映画「ハンナ・アーレント」(2012)を観ました(作品紹介)。

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映画には、アーレントがタバコをくゆらせるシーンが、何度もくり返しくり返し出てきました。はじめて知りましたが、相当のチェーンスモーカーだったみたいです。

映画のなかで、タバコは彼女の「思考」を映像で表現する重要な脇役でした。

2014-04-25_smoke-298243_150※イメージ

後で探してみると、タバコを手にする写真が表紙になっている本もありました。

現代の「最終解決」対象

タバコ片手に友人たちと議論するのはまだしも、大学での講義中にも喫煙するシーンにぎょっとしてしまったのは、現代の感覚で観ているからなのでしょうね。

それでふと、

  • 21世紀の現在、ナチスドイツにおけるユダヤ人に相当するのは、タバコ、または喫煙者ではないだろうか。

そんな想念が頭をよぎりました。

「5つのステップ」による現状分析

アメリカのノンフィクション映画「THE HOUSE I LIVE IN」(2012)では、「虐殺への5つのステップ」をこう述べていました。

  1. 識別
  2. 排斥
  3. 剥奪
  4. 収容
  5. せん滅

これに沿って、21世紀の反ユダヤ(仮)「嫌煙」の進行状況を分析してみます。

現状は第2ステップの「排斥」まで進んでいると言えましょう。公共の場所をはじめ、店舗でも禁煙の所が多くなりました。

また、用法として厳密ではないですが、駅や空港などでの喫煙コーナー、喫煙室の様子を外から見ると、喫煙者が「収容」されているようにも見えます。

忍び寄る「剥奪」の動き

次の「剥奪」の動きも徐々に始まっているのかもしれません。

たとえば、禁煙治療に健康保険が適用できるのはおかしいといった議論があります。

それが「ニコチン依存症」という疾病であったにしても、誰かが無理やりニコチン漬けにしたわけじゃない。なのにその治療費の一部をなぜ非喫煙者までが等しく負担しなければならないのか、そんな論調です。

また関連して、健康保険の保険料に差を付けろといった議論もあります。

そのほか、具体事例を確認できていませんが、宿泊施設の利用や、住宅の賃貸借契約において、喫煙者に対し差別的な扱いをするケースがあるとも聞きます。

疫学面その他のデータで実証されているとすれば言い返す術はないのですが、喫煙者からの「剥奪」をあからさまに進められると、それでいいのかなという疑念も残ります。

喫煙シーンを問題視する人

ときどき、映画やテレビドラマの喫煙シーンを問題にする人が出てきます。大ざっぱに論難すると、そういう人はあれこれもっともらしく理由を付けますが、要はタバコが嫌いなだけです。幼稚だと思います。

5つのステップに当てはめてみると、喫煙者の殲滅を叫んでいるようにも見えます。危険な傾向です。

幸い映画「ハンナ・アーレント」の場合、観客としてヒットしている年齢層が高めのせいか、タバコのみ(ダジャレじゃないよ)を理由として糾弾するような幼稚な議論は出ていません。

おわりに

僕はタバコが大嫌いです。煙たいのも臭いのもイヤです。

何かものを考えるときも、エロい事と一緒に考えておけば、タバコは要りません。

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