こんにちは。「有名人」について考える、2回目です。
有名人とは(つづき)
前回までのあらすじ
時代を区切って「有名人」を考えることにし、まず現代における有名人を「テレビに出ている人」と定義しました。
時代時代での歴史上の人物は含まず、その時代に存命した「同時代の有名人」を考えることにしています。
では、過去、テレビのなかった時代の「有名人」は、どういうありようだったか、それを考えてみようというところまででした。
2. 過去(テレビのなかった時代)
過去、テレビのなかった時代の「有名人」のありようを考えた結果、これもまた、きわめて凡庸な結論に落ち着きました。
有名人とは、他人が噂する人です。
そして、本人からどれだけ遠く隔たった他人が噂するかで、有名の度合いが測れます。
以下、その結論にいたった過程です。
歴史上の人物が生きていた時代
まずは、現在も名が知られている「歴史上の人物」を軸に、その人物が生きていた当時を考えてみましょう。
歴史上の人物か否か、当時有名だったかどうか、この組み合わせで次の4パターンが存在します。
- 歴史上の人物で、当時も有名人だった
- 歴史上の人物だが、当時有名人ではなかった
- 歴史上の人物でないが、当時は有名人だった
- 歴史上の人物でなく、有名人でもなかった
椎名桔平テスト ―その人物を認識できるか
想像上の実験として「自分が同時代の庶民だったら、彼(女)に出会ったときにその人物を認識できるか」をテストします。
このテストを「椎名桔平テスト」と名付けます。なおこの名称は、きわめて個人的なエピソードに由来するものです。詳細は記事の最後に書いておきます。
歴史上の人物で「椎名桔平テスト」
時代をさかのぼりながらアットランダムに歴史上の人物を選び、偶然出会った状況でその人物を認識できそうかを、同時代の庶民になったつもりでテストしました。個々の人物については説明しません。
- 阪東妻三郎 わかる。
- 田中正造 微妙。
- 坂本龍馬 微妙。ブーツ履いてれば、わかるかも。
- 雷電為右衛門 わかる。
- 大石内蔵助 たぶん無理。
- 松尾芭蕉 無理。
- 武田信玄 たぶんわかる。が、影武者までは見抜けない。
- 雪舟 微妙。
- 日蓮 わかるかも。
- 紫式部 無理。そもそも接点がない。
非・歴史上の人物の場合は
「3. 歴史上の人物でないが、当時は有名人だった」パターンを検討したいのですが、そもそも現代に名が残ってないのですから、サンプルをどう求めるのが適正かという問題があります。
その問題を考えることは早々に打ち切り、手元の資料で唯一使えそうな『徒然草』から、名の残っていない当時の同時代人をピックアップし、成立当時の庶民になって彼(女)を認識できるか、椎名桔平テストを行ってみます。
『徒然草』で椎名桔平テスト
- 何の入道とかやいふ者の娘@因幡国(第四十段)
→ 難しい。似顔絵でもあれば… - 行雅僧都(第四十二段)
→ 微妙。医療従事者ならわかるかも。 - 良覚僧正(榎木僧正)(第四十五段)
→ たぶん無理。 - 強盗法印と号する僧@柳原(第四十六段)
→ たぶん無理。 - これも仁和寺の法師(第五十三段)
→ たぶんわかる。顔に特徴があるので。 - 盛親僧都@真乗院(第六十段)
→ わかるかも。書いてある通りのことを知っていれば。 - 高名の木登り(第百九段)
→ 微妙。
このテストを行った結果、なんとなく発見できたことがあります。
過去・テレビのない時代の有名人は、顔がささないことも多い
人の目につくこと、見つけられることを、関西の芸人さんは「顔がさす」といいます。もとは京都の言葉らしいのですが、いつ頃からか、テレビで使われている機会を耳にすることが多くなりました。
現代であれば、無名人が有名人に偶然出会ったとき、相手が有名人であることがわかります。逆に認識できないのなら、それは(少なくともその無名人にとって)有名人ではないと言えるでしょう。
しかし、テレビのない時代の有名人とは、必ずしもそういうものでないようです。顔がさすことは有名人の必要条件ではない。すなわち、テレビのない時代は「有名人なら顔がさす」は成立しない。当代の有名人であっても、顔がささないこともあるのです。
現代と同じ感覚で、たとえば街で偶然出会ったとして「あれ、もしかして、○○さんですよね?」みたいに同時代人が認知できるものだと半ば無意識に規定しかけていましたが、それは誤りでした。
まとめ:有名人の条件(テレビのない時代の場合)
あとの思考プロセスを全部はしょって、まとめます。
テレビのない時代、当代の有名人となるために必要だったのは、今の言葉で言うと、この3つです。
- ぶっとび
- シェア
- リツイート
1. ぶっとび
有名人になる人は、当時の世に暮らす人にとって、著しく秀でた、あるいは常識外の/常識を超えた「異なもの」を持っています。具体的なぶっとびのベクトルはさまざまです。
2. シェア
誰かのぶっとびに集まった人、驚いた人、それを面白がった人らが、ぶっとびぶりをパッケージしてシェアできるようにします。パッケージの仕方は、文字だったり、音声でのストーリー(逸話)だったりです。
それが今も残っている例を挙げると、前者が『徒然草』やプラトンの対話篇。後者が、各地に伝わる民話です。
3. リツイート
一部意味的に2.と重なりますが、直接接点のない人も、パッケージされた「ぶっとび」を噂することでリツイートしていきます。リツイートの過程で、パッケージ内容が改変されることもあります。
補助アイテム:アイコン
有名人となるために必要な3つの条件を補強するアイテムとして、本人の姿をかたどった「アイコン」があります。具体的には、映画、写真、絵画、像などです。また、姿だけでなく、甲冑などのコスチューム、紋章といった、よりシンボリックなものも含まれてくるかもしれません。
画像の持つ情報量は大きいですから、補助アイテムとして非常に強力です。ではあるのですが、必ずしも誰かを有名人たらしめるために不可欠の条件ではありません。
テレビのない時代は、同時代の人物であっても、文字情報、音声情報だけで伝わってくる有名人も存在しました。
補遺
椎名桔平テストの誕生
想像上の実験として「同時代の庶民だと仮定し、ある人物に偶然出会ったときにその人物が誰かを認識できるか判定すること」を、「椎名桔平テスト」と名付けました。
この名称は、きわめて個人的な経験に由来します。
東京駅の新幹線改札口まで、関西へ帰る父を見送りに行ったときのこと。父が突然「かんさい、かんさい」と連呼し出しました。なぜ今さら?と訝りかけたその瞬間、改札口から山本寛斎さんが出てきました。
「こんなん見つけんの早いねん」と自慢げな父の前を、寛斎さんに続いて改札を出てきた椎名桔平さんが、気づかれることなく通り過ぎていきました。
人は認識できる対象しか見つけられないのです。
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