「人格障害」「サイコパス」説への疑問―小保方晴子さんの会見に思う(6)

こんにちは。

この記事で言いたいこと

中途半端で安易なわかり方でわかった気になることは、非常に危険です。

ホロコーストへの第一歩となりかねないからです。

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アドルフ・アイヒマン(1906-1962)※画像はWikipedia より

「サイコパス」で片づける危険

4月9日の会見後、小保方晴子さんを「○○性人格障害」とか「サイコパス」とか評する言説がいくつか見られました。

そのような診断が妥当かは僕にはわかりません。わかる努力もしていません。そうした精神医学寄りのアプローチも無意味ではないでしょう。

しかしはっきり問題だと言えるのは、そこで話が終わってしまっていることです。

それでは、ホロコーストを遂行したナチスドイツの考え方と変わるところがありません。

危険です。

虐殺への5つのステップ

アメリカのノンフィクション映画「THE HOUSE I LIVE IN」(2012)では、「虐殺への5つのステップ」をこう述べていました。

  1. 識別
  2. 排斥
  3. 剥奪
  4. 収容
  5. せん滅

訳語は、NHK BS1の「BS世界のドキュメンタリー」として放送された日本語版「“アメリカン・ゲットー” 麻薬戦争と差別の連鎖 後編」(2013/07/23深夜 OA)からです。

第2ステップ前提の「識別」では?

誰かを「人格障害」「サイコパス」と診断するのは「識別」です。正しい診断か、そういう方面からのアプローチが妥当かはおいて、何かを識別する行為自体は否定しづらいです。

考えるべきは、そういった診断が正しかったとして、「そのような人とも社会のなかでどう共存を図っていくのか?」でなければならないはずです。

なのに安易な「識別」だけで溜飲を下げていると、虐殺へと向かう次の「排斥」以降のステップに簡単に進みかねません。抽象的な言い方ですが、そのような思考はつるつるとして抵抗がなく、抑止力が働かない気がするのです。

危険です。

ここで今一度、ナチスが、ホロコーストをユダヤ人問題の「最終解決」(Endlösung)と呼んでいたことを思い起こさなければいけません。「解決」の名で虐殺を進めたということを。

いちばん中途半端

知りたいなら、そこで分析を止めてはいけません。それが真の解決へと向かう道です。

それか、わからないのなら、もっと早々に「なんだあの女。わけわからん」とさじを投げないといけません。その方がまだよほど健全です。

わからないことが苦痛なくせに、深くわかろうともしない。そんな中途半端なところで、最悪のパターンに陥っているようにも見えます。

そのような思考の不全、ハンナ・アーレント(1906-1975)の言葉を借りれば「思考不能(unable to think)」ぶりが、ナチスドイツはじめ、世界史のなかで虐殺を行ってきた数々の集団と重なります。

まとめ:悪の凡庸さ

くり返します。誰かの言動のなかに悪を感じるならば、「人格障害」や「サイコパス」とレッテルを貼っただけで分析を止めることは非常に危険です。そこを簡単に済ませようとする思想に、より根源的な悪が潜んでいることを知らなければなりません。

根源的な悪とは、実に凡庸なものです。

「悪の凡庸さ」。これは、ハンナ・アーレントがホロコーストを主導した重要人物の一人、アドルフ・アイヒマンの裁判から得た人類にとっての貴重な洞察です。『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』『Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil』で書籍化されています。

そんな、長い長いアフィリエイト記事なのでした。

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