込み入ったデマ「原爆投下を招いたのは、ポツダム宣言《黙殺》を《無視》と英訳したから」を正します。

かなりきびしい話もするが 俺の本音を聴いておけ
《関白宣言》(さだまさし, 1979)

こんにちは。

1945年の「既読スルー」「既読無視」問題:ポツダム宣言(2014/03/14)で、こう書きました。

一部に、この「黙殺」を英訳でignore としたために、連合国側に「拒否」の意に受け取られ、原爆投下を招いたという説があります。

誤りです。込み入った形式のデマです。

こちらを詳しく述べていきます。

要約:Executive Summary

「1945年、時の大日本帝国政府がポツダム宣言を「黙殺」したのを、ignore(無視)と英訳したことで拒否の意味に受け取られ、広島・長崎への原爆投下を招いた」という説があります。

ひとつの主な発生源は、鳥飼玖美子さんの『歴史をかえた誤訳』(新潮文庫 2004)です。

デマです。

少々イデオロギーがかった言い方をすると、それは戦勝国の後づけの理屈です。事後宣伝に毒されています。

史料から確認できるのは、ポツダム宣言の発出時点で、日本本土への原子爆弾の使用が「既定路線」であったことです。

2014-03-18_640px-A-bomb_Hiroshima
A-bomb Hiroshima: commons.wikimedia.org

パート1.「誤訳が原爆投下を招いた」というデマ

主要な発生源『歴史をかえた誤訳』

僕の知る、デマの主な発生源がこちらです。

その第一章「歴史をかえた言葉」の冒頭、「原爆投下を招いた一つの言葉」です。

文章はこう始まっています。

外交上の誤訳とされるもの、コミュニケーションの失敗例とされるものはいくつかあるが、その中で最たるものは、ポツダム宣言に対する日本側の回答で「黙殺」とあるのをignoreと英訳したことであろう。(p.24)

ここで

  • ignoreは誤訳か
  • 誤訳だとして「黙殺」をどう英訳するのが適切か

は検討しません。そういうレベルの問題ではないからです。

でたらめな鳥飼さん

さて、本題です。

追い詰められていた戦況を考えると、「相手にしないことにより自分の高さを保つ」という微妙な心理は日本人としては理解できる。ただし、それが外国人に伝わるかどうかは別問題である。(p.34)

であるにしても

「黙殺」という言葉でポツダム宣言を拒否したと受け取られたのは、広島・長崎への原爆投下へ踏み切る口実、といういい方が悪ければ、きっかけを与えたことにはなる。(p.34)

は誤りです。でたらめを言ってはいけません。

最後は、こう締めくくられています。

『ベルリッツの世界言葉百科』[引用者注:新潮選書, 1983]には「言葉が歴史を変える例」として〈黙殺〉がこう紹介されている。
「もしたった一語の日本語を英訳する仕方が違っていたら、広島と長崎に原爆が投下されることはなかったかもしれない」(p.34)

そんなイギリス人の戯れ言(悪意を込めて言えば、自己正当化)にも付き合ってちゃダメです。

パート2.反論

史的事実

最初に史的事実を述べます。帝国政府はポツダム宣言の発出後、8月14日まで受諾・降伏を決断しませんでした。

ですから、たとえ「黙殺」が適切に訳されていようが結果は同じでした。そこを順に述べていきます。

「誤訳→拒否と理解→投下」説の矛盾

もし「黙殺」が拒否の意味に受け取られたことで原爆投下を招いたのであるならば、連合国側が「拒否」の回答を受けてから投下が決定されていなければなりません。

しかしそのような事実を示す史料は残っていません。

ポツダム宣言が出された1945年7月26日時点で、日本本土への原爆投下は既に決まっていました。「既定路線」だったのです。

でたらめでない鳥飼さん

実は僕も当初「黙殺の誤訳が原爆投下を招いた」と思っていたクチです。その方向でブログ記事を書こうとして、裏づけを取るために検索してみると、説得力のあるのは「それは誤り」とする説でした。

たとえばこちらです。

◆鈴木貫太郎内閣とポツダム宣言黙殺・原子爆弾投下・終戦|鳥飼行博研究室

リンク先にはいろいろと書いてありますが、ポイントのみ引用します。※下線は引用者

1945年7月25日、日本本土への原爆投下命令がだされた。その翌日26日、日本への降伏勧告のポツダム宣言が公表された。このポツダム宣言を黙殺したから、日本に原爆投下されたという俗説は、誤りである。

僕はこちらを支持します。下線部が史料で確認できたからです。

鳥飼vs鳥飼

蛇足ながら、こちらも、奇しくも鳥飼さんです。

多くない姓なので何か関係でもあるのかと探ってみましたが、つながりは見つけられませんでした。単なる「他人のそら似」としておきます。

証拠1:1945年7月25日付の「投下命令書」

同ページで示している投下命令のテキストの引用元はこちらです。

ただしこれは、「Source: U.S. National Archives」と出典を示してはいるものの、コピーサイトです。

出典マニアが「原典」を探してみた

僕は出典マニアなので、より原典に近いものを求めます。

ありました。米国政府のNational Archivesのサイトで、スキャンされた「原典」が参照できます。内容は同じです。

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証拠2:1945年7月24日付の「投下プランとスケジュール」

その前日付で、投下プランとスケジュールを示す軍の文書が出ています。一部判読困難ですが、こちらで読めます。

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(Harry S. Truman musium & library >The Decision to drop Atomic Bomb より)

広島、長崎のほか、小倉、新潟も投下地の候補になっています。

証拠3:ポツダム宣言の発出日は、1945年7月26日

なおポツダム宣言が出されたのは、直後の1945年7月26日です。(atomicarchive.com

したがって、既に投下へのゴーサインが出ていた状態です。

中間まとめ:「込み入ったデマ」が嫌い

この記事で検討している「ひとつの言葉の誤訳が原爆投下を招いた」みたいな、「意外な真実」「知られざる秘話」みたいな体で語られるでたらめを、「込み入ったデマ」と呼ぶことにします。

嫌いです。

込み入っている分、シンプルな?デマよりもたちが悪いからです。

パート3.考察:戦勝国の事後宣伝効果かも

ポツダム宣言と原爆投下の関連性について、『歴史をかえた誤訳』でのような誤った説が出るのは、ひとつは戦勝国の事後宣伝の効果とも言えます。

同じく、Harry S. Truman musium & library >The Decision to drop Atomic Bomb で読めるドキュメントからひとつ。

トルーマン大統領の声明(1945/08/06)より

日本本土への原爆投下を発表する、大統領名によるホワイトハウスのプレスリリースからです。

It was to spare the Japanese people from utter destruction that the ultimatum of July 26 was issued at Potsdam. Their leaders promptly rejected that ultimatum.

Press release by the White House, August 6, 1945. Subject File, Ayers Papers. より

「ポツダム宣言を拒否したから、日本国民のためしょうがなく」みたいに書いてあります。

日本語情報

昭和20年8月11日付の朝日新聞には、「チューリツヒ特電九日発」としてこの声明が掲載されています。抜粋して引用します。原文に対応してないので「訳文」ではありません。

一 ポツダム會談に際し米英重慶三國共同で対日警告を発し條件を提出したが日本の拒否するところとなった、そのため日本に対し最初の原子爆弾が使用された(後略)

「原子爆弾の威力誇示/トルーマン對日戦放送演説」(朝日新聞 1945/08/11付)

まあ、そんな筋書きにしてしまっているわけです。

関連動画

こちらで声明を読み上げるトルーマン大統領の映像(抜粋)が視聴できます。

事後宣伝に乗っけられてる「拒否→投下」説

「ポツダム宣言」発出時点(7月26日)での原爆投下準備の整いぶりを鑑みれば、「ポツダム宣言を拒否したから原爆投下」は、米国によって事後に作られた虚構のストーリーと判断せざるを得ません。

「黙殺を無視と英訳したため」説は、このストーリーに沿った格好です。うまい具合に乗っけられてしまっています。

余談2つ

余談です。詳細は別記事にして書く予定です。

余談1

なおチューリヒ9日発のこの8月11日掲載の記事が、朝日新聞での「原子爆弾」という言葉の初出です。第二報からここまでは「新型爆弾」でした。(東京版の縮刷版閲覧結果による)

余談2

本件にからんで図書館にある縮刷版で敗戦前後の朝日新聞をひととおり読んできましたが、戦中は帝国政府の、敗戦後は占領軍のGHQの、それぞれ報道への規制ぶりがうかがわれる記述が少なからず見られます。これも別途記事にしたいです。

でたらめな鳥飼さんを擁護する1

ただ、鳥飼玖美子さんの「原爆投下を招いた一つの言葉」に全面的に責めを負わせ切れない面もあります。

1か所だけは

むろん(略)、原爆はどのみち落とされた、という見方も成立する。(pp.33-34)

と、両論併記のトーンを打ち出している記述もあるためです。

述べてきたとおり、時系列で各事実間の関係をたどっていけば、こちらが真実であるとわかります。

ignorantな読み手にignoreされている

しかし全体の記述分量のバランスからすれば、「誤訳→原爆投下」と考えているんだろうなと取れます。

そのためか、本書などの記述からそれが史実と受け取っている人も多くいます。検索してみればわかります。

結局、情報伝達の過程で両論併記の部分が欠落してしまっています。

でたらめな鳥飼さんを擁護する2

別の方面からも擁護すると、もともと鳥飼さんのこの文章は、厳密な論証を経て書かれているものではなかったのに、出るべきでない形で世に出されてしまった。そうも言えます。

この本、最初にジャパンタイムズから刊行されたときのタイトルは『ことばが招く国際摩擦』でした。

ですから僕は、同書の版元・判型とタイトルの変遷をまとめたブログ記事「さかのぼり日本史風『歴史をかえた誤訳』の歴史【小ネタ】」(2014/03/09)で、こう述べました。

「英語話の読み物」の範疇なら「かもね」のお話として見過ごせます。講釈師の軍談ものと受け取っておけばいいからです。

しかし残念ながら、「歴史」の検証にたえられるものではありません。事実ではないからです。

「英語話の読み物」に「歴史」の衣をまとわせた新潮社の「売らんかな」の姿勢を一概には否定しませんが、度が過ぎています。ついでに、文中で引き合いに出されていた『ベルリッツの世界言葉百科』も、新潮選書です。

デマの発生、成立の一類型を見た思いがします。

軽薄と無知と下品が融合されると、込み入ったデマが生まれる。そう雑に結論づけておきます。

まとめ:「込み入ったデマ」小論

「込み入ったデマ」に関しては、当ブログでも過去にこれらの記事で触れ、「それは違う」と指摘してきました。

なぜ、この種の込み入ったデマが広がるのでしょうか。あるいは広がらないにしても、消えないのでしょうか。

  • 「みんなこう思っているだろうけど(または、何も知らないだろうけど)、実はこうなんだぜ(キリッ」

みたいな調子で、ちょっとした優越感を得られるから、なのでしょうか。それ、デマなんですけどね。

今の世の中、この種のたいていの言説は、ネットだけでも真偽の検証が可能です。めんどくさいですが、情報を発信する側に立つなら、確認は不可欠の作業であるように思います。

ご静聴ありがとうございました。

コメント

  1. anyms より:

    デマの発生源が何で鳥飼さんの著書という事で納得できちゃうのでしょうか。引用部では明らかに周知の事実として書かかれており、実際20年前の別の著書にも紹介されているわけで。
    で、redditの中で世界の人が原爆をどう教わったかという話題があって、イングランドの人が大学で黙殺誤訳事件を習ったと言ってたので、多分そっち方面が発生源な気がしますが。

  2. anyms より:

    ぐぐってみたけど、デマとしてる話の発生源はWilliam CraigのThe Fall of Japan(1967)じゃないの?

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