こんにちは。
この記事で言いたいこと
いい言葉をひとつ紹介します。「オヤジジャーナル」です。命名者はプチ鹿島さんです。
ネーミングのセンスだけでなく、鹿島さんが「オヤジジャーナル」に託すマインドも素晴らしいです。
そこに僕も乗っかり、オヤジジャーナルを研究することにしました。
※写真と本文は関係ありません
序・ざっくり「日本のマスコミ」論
新聞、週刊誌、テレビ等を問わず、日本のマスコミの報道姿勢は、基本的に「オヤジ」です。
中高年男の加齢臭が漂います。それを隠す気もない様子です。
「オヤジジャーナル」の発見
これを「オヤジジャーナル」と命名した方がいます。プチ鹿島さんです。
※画像は、プチ鹿島ブログ「俺のバカ」
この言葉を僕自身が初めて聞いたのは、ポッドキャスト配信だった頃の「東京ポッド許可局」でした。僕が東京に住んでいたときなので、もう3年以上は経っていると思います。
なお初出の特定については、コアなファンが多い番組ですので必要ならそちらにお願いしたいです。出典マニアなのに手抜きですみません。
素晴らしい!
さて、この言葉を聞いた当初は特に何も思わなかったのですが、最近になって「オヤジジャーナル」は素晴らしい大発見だと思うようになりました。
同様の指摘は既にあった―『スポーツニュースは恐い』(2007)
当初「オヤジジャーナル」に遭遇しても特に何も思わなかったのは、同様の指摘が既にあったからです。『スポーツニュースは恐い』(森田浩之, 2007)です。
スポーツニュースの言説を分析し、それを「オヤジ」と評価した本です。
本書の第2章のタイトルは「女子選手に向けるオヤジな目線」となっています。同章を中心に、関連する見出しのタイトルを拾ってみました。
- スポーツニュースは「オヤジ」である
- スポーツニュースがやっている「無意識のセクハラ」
- 女子にだけ気安く「ちゃん」づけするオヤジ
- 女子選手のプライベートが気になる
- 高橋尚子と小出監督の「擬似父娘関係」
- 「なでしこジャパン」という愛称の意味
- スポーツは男の「最後の砦」
- 巨人・上原、「恩返し」のストッパー
- 「祐ちゃん」「マーくん」が定着した意味
こんな具合です。
言葉自体がなかっただけで、「オヤジジャーナル」そのものです。
『スポーツニュースは恐い』(2007)によるオヤジジャーナル分析
同書の《スポーツニュースは「オヤジ」である》の段には、こうあります。
スポーツニュースは「オヤジ」なのである。
日本の職場に必ずひとりくらいはいそうなオヤジである。(略)女性社員に理解があるつもりでいるが、女性を信頼していないことが言葉の端々に、ついうっかり出てしまう。女性が外に出て仕事(=スポーツ)をすることに抵抗があるという古風な一面もおもちのようだ。(p.12)
そのくせスポーツニュースは気配りの人である。人間関係には細かい配慮をみせ、組織のなかでの生き方に強い関心をもっている。そのぶん人知れずストレスをため込んでいるのか、ちょっとテンションが上がると暑苦しい人生訓を語りはじめる癖がある。(p.12)
コツコツと地道にやるタイプである。(略)自分がコツコツやっている仕事がじつにスケールの大きなプロジェクトであることは、あまりよくわかっていない。
それが「日本人をつくる」というプロジェクトだ。(略)ただ、この仕事でも悪い癖がときおり顔をのぞかせ、テンションが上がると、彼自身の考える「日本人らしさ」や日本人の国民性みたいなものを語りはじめる。(pp.12-13)
厄介なのは、スポーツニュースの描く日本人の自画像が、ちんまりとスケールが小さくて、ちょっと時代に合っていないと言うことだ。(p.13)
分析されているそれぞれの特質は、まんま「オヤジジャーナル」分析としても通用しそうです。
スポーツだけじゃない
この議論を頭に置きつつ報道を眺めているうちに、僕にも徐々にわかってきました。
報道のオヤジぶりは、スポーツだけでないということが。
これは広く日本のマスコミ報道を覆う、深刻な病巣、宿痾であることが。
いかんです。いかんのいです。
命名だけじゃない
プチ鹿島さんが素晴らしいのは、ただ「オヤジジャーナル」と命名して終わりでないところです。
同時に、その命名により対象を面白がれる方向にシフトさせ、楽しみ方までを提示されています。何よりそこが素晴らしいです。
Webコラム「プチ鹿島の『余計な下世話!』vol.29」で、鹿島さんはこのように述べられています。※下線引用者
やってることは下世話だが、己の志は高みに置くオヤジジャーナル芸。これを「マスゴミ」と怒る人もいるだろうが、私はオヤジの動向を追いかける楽しみに変えた。
STAP細胞・小保方さんをオヤジジャーナルはどう報じたか!?|東京BREAKING NEWS(2014/02/04付)
何度も言いますが、素晴らしいです。
そんなプチ鹿島さん発信の「オヤジジャーナル」と比べてしまうと、『スポーツニュースは恐い』は、ひとつの問題提起にとどまってしまった感じもします。
乗っかることにした
この「オヤジジャーナル」ムーブメントに僕も乗っかることにしました。
弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく
《TRAIN-TRAIN》(詞:真島昌利, 1988)
になぞらえて言うならば、さしずめ
初老のおっさん夕暮れ オヤジジャーナルを嗤う
でしょうか。あまりうまくない。
「オヤジジャーナル」研究宣言
というわけで、オヤジジャーナルを研究することにしました。まずは研究対象を広く知る必要があります。
最初の研究テーマは「オヤジジャーナルはいつからオヤジなのか?」と設定します。いま、おばあちゃんのかっぽう着に着替えました(ウソ)。
研究の成果が出ましたら発表します。万能なSTAPオヤジ理論の確立をめざし、なんとか、その音を響き渡らせたいです。
付記:「おばさんジャーナル」はあとで
鹿島さんは「おばさんジャーナル」なるものも唱えてらっしゃいます。オヤジジャーナルの対概念に相当する位置づけです。
用例としては、たとえばこちらの記事がわかりよいかと思います。
- 大沢樹生と樫木裕実の泥沼騒動に見る「おばさんジャーナル」 のえげつなさ…プチ鹿島の『余計な下世話!』vol.26|東京BREAKING NEWS(2014/01/14付)
ただ、こちらはかなり手ごわそうなので、研究するにしてもオヤジの後回しとします。念のため強調しておきますが、女性蔑視の意図はありません。
こちらからは以上です。
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