サッカー応援ウィークに寄せて
こんにちは。
ゆうべ「マツコ&有吉 怒り新党」を見たら、テレビ朝日がサッカー応援ウィークだということで、スタジオが青一色になっていました。6月4日に、サッカーワールドカップ・アジア最終予選の中継があるのですね。
感心しない煽り文句が、そこにはある
さて、テレ朝サッカーのキャッチフレーズといえば、
「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」
ですが、この文句、正直なところあまり感心しません。煽るのがマスコミの仕事ではありますが、サッカー素人の自分から見ても、言葉の底にあるマインドが素人すぎるからです。
このあいだ読んだ本の中で、自分がひとり思っていたもやもやを、うまく説明してくれていました。格闘ゲームを極め、プロとして活躍されている方の著書です。
絶対に負けられない戦いでは勝てない
『勝ち続ける意志力』の中で、梅原さんは次のように語っています。
絶対に負けられないと思っているプレイヤーは、だいたい土壇場で萎縮してしまう。一方で、日々の練習に60の喜びを見出していると、負けても毎日が楽しいから大丈夫だと、気を楽にして自然体で勝負に挑むことができる。その結果、リスキーな局面でも大胆な行動に出ることができる。(p.193)
格闘ゲームは心理戦でもあるので、心から勝ちたいと願っているプレイヤーの行動は読まれやすい。動きが慎重で、セオリーに頼りすぎる傾向がある。セオリーというのはあくまでもベースに過ぎず、それだけを貫いて勝てるものではない。それなのに堅さが取れず、まるで補助輪をつけて走っているような戦いになるのだ。(p.192)
これが勝ち続けてきた人のものの見方です。「絶対に負けられない」と思って勝負に挑んでいることが、対戦相手のウメハラからすれば、既に勝ちから遠ざかっている姿勢に見えるようです。
では、梅原さんはどういう気持ちで勝負に臨んでいるのか。
矛盾するようだが、結果に固執しないと結果が伴う。(略)
いま、大会に出場するときに僕が抱いているのは、自分のプレイを見てほしいという思いだけだ。「俺のプレイはどうだ? 勝負の内容をしっかり見てくれよ」と思っている。その結果、勝率は「勝ち」を意識していた頃よりも高くなっている。(p.192)
結果に固執せず、このような境地で勝負できるようになるには、ただただひたすらに準備を重ねるしかないのでしょう。
繰り返します。「絶対に負けられない」などと思っているうちは、素人です。それでは勝てません。
とはいえ当事者はたぶんわかっている
もっとも、当事者である選手、監督、スタッフは、いたって冷静に準備を重ねていることだと思いますので、「絶対に負けられない」などと周囲が煽り立てても、直接の悪影響はないでしょう。
サッカー日本代表チームに関しては、20年来主な試合をテレビ観戦する程度の距離感ですが、オシムさんが監督に就かれた頃から、若い世代に入れ替わっていくたびに成熟の度合いを増しているように感じます。個々の選手のことは詳しく知りませんが、きっと今回の試合も、梅原さんと同じようなマインドで臨むことでしょう。
ですから観る側もいいかげん、成熟の過程にある当事者のレベルについて行かないといけない気がします。ところが、くだんの文句を掲げていることで、テレビ朝日を含むマスコミが、その足を引っ張っているのではないかとさえ、私には感じられてしまうのです。
当事者にとって応援されることはきっとありがたいでしょうが、間違った応援は、むしろ害悪です。
ゲスすぎる決めうち
そもそも論になってしまいますが、「応援」という行為そのものも、私にはいまひとつ理解しづらいものがあります。たかが他人の勝負ごとに、なんでそこまで熱くなれるのでしょうか。
…あ、そうか。本当の意味が、わかったよ。
お前ら金賭けてんだな。
そりゃ「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」わ。
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