各位
ヤシロです。いつもお世話になっております。
前後編2回のシリーズで「訃報」を考えています。前の記事からのつづきです。
前回のあらすじ
前の記事に、こちらの1.2.3.までを書きました。
- 「訃報のお知らせ」は、頭の悪い言い方です。重言(重ね言葉)であり、冗長です。
- 「訃報」だけで十分です。
- なのに、東証一部上場企業ですら臆面もなく「訃報のお知らせ」を使っています。探した範囲で15社ありました。
- 頭悪すぎと思って「訃報」をあらためて確認してみると、とんでもないオチが待っていました。
この記事で残りの4. を書きます。
要約:「とんでもないオチ」とは
先に書いておきます。
「訃報」も重言でした。
※画像はステキ計画より
おさらい:「訃報のお知らせ」の頭の悪さ
「訃報のお知らせ」というのは、重言です。
訃報の「報」は「お知らせ」の意味ですから、「のお知らせ」は必要ありません。無駄です。
それが意図的でないのならば、必要のないものをわざわざ付け加えるというのは、頭の悪いふるまいです。
今一度「訃報」を確かめてみた
人の死んだ知らせを「訃報」といいます。既に述べたとおり、「報」は「お知らせ」の意味です。
では、「訃」というのはどんな意味なんでしょうか。確かめてみました。
「訃」とは
『広辞苑』から
手持ちの電子辞書(広辞苑)で「訃報」を引くと、こうありました。
ふ-ほう【訃報】
死亡の知らせ。訃音。訃。
「訃」とも言い換えられる、そんな書きぶりが気になって、「訃」を引いてみました。
ふ【訃】
人の死を知らせること。死亡の通知。「―に接する」
「訃」だけで、「訃報」で言うところの意味が全部含まれています。
切り詰めれば「報」も必要なくて、実は「訃」だけで事足りるというわけですか。
『字統』から
広辞苑にも、中にはおかしなことが書いてある場合もあります。
そこで白川静先生の『字統』に頼ってみました。
【訃】
形声 声符は卜(ぼく)。
訃はまた仆・赴の声義とも関係がある。[儀礼(ぎらい)、既夕礼(きせきれい)]に「赴して、君の臣某、死せりと曰ふ」とあり、その死を赴告することをいう。
「訃」の意味は「赴」とほぼ共通であり、よってどちらの字も使われていた様子です。
「赴」も見てみましょう。
【赴】
速やかに至ることをいう。もと訃告に用いる字で、(略)[左伝]には多く赴告という。
速やかに告げ、また遠く告げることを、赴といったようである。
というのが白川静先生の見解です。
あと、「卜」にはどういう意味があるのでしょうか。引いてみました。
【卜】
象形 ひびわれの形。
獣骨や亀版(きばん)を灼(や)いて、そのひびわれによって吉凶を卜(うらな)うときに、亀版の表面にできたひびわれの線を卜兆という。
ちなみに
卜を左右に向かい合わせた形が兆である。
だそうです。
「訃」まとめ
「卜」というのは獣骨や亀版の表面に「走る」ひびわれのことでした。ですから、字に「卜」の部を有し、「赴」と意味がほぼ共通する「訃」は、「走る」という意味も帯びていることになります。
つまり「訃」という字は、「言」葉が「卜=走る」さまを表しているのです。
でもって、昔の人にとって人々の間を「走る」「言」葉とは何かといったら、まさに現代で言う「訃報」でしかないわけです。「クイズ・古代の人100人に聞きました」の問題だったら、圧倒的第1位に違いありません。
ですから、「訃」の一字だけで「人の死を知らせること」「その知らせ」という意味になります。
情報通信手段の発達した現代であっても、著名人の「訃」のケースを考えれば、その事情はそう大きく変わらないと言えるのかもしれません。
考察:訃報に「報」がつく意味
ここまでで、「訃」の字単体で「死を知らせること」「死亡の知らせ」の意味があるのを確認しました。
つまり「訃報」と言わなくても、究極には「訃」だけで事足りるわけです。
それではなぜ、「訃報」と、その意味では必要のない「報」をわざわざ付けているのでしょうか。
思うに、訃報での「報」は、「訃」が指す概念の階層を下げて「訃」を取り扱いやすくしている。そんなはたらきをしているように思えます。
くり返しますが、「訃」だとあまりに抽象的すぎて、日常レベルでは取り扱いにくい。そこで、「訃報」と報の字を付けることによって、抽象度の階層を一段下げている、そんな作用に思われます。
「○○さんの訃」だと、つながりとして、具体的な人物の名と「訃」で表される概念の両者が、どこかレイヤが合っていない。「○○さんの訃報」とすれば、その印象はずいぶんと和らぎます。釣り合いの取れた、ちょうどいい感じがします。
まとめ
「訃報のお知らせ」ってずいぶんと頭悪いなと思っていました。「訃報」だけで事足りるのに、無駄なものを足しているからです。
しかし、その「訃報」も重言でした。
本稿で確認したように、究極には「訃」だけで十分事足りるという話だからです。
知らなかった。
勉強をし直してまいります。(桂文楽風)
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やめませんけどね。
コメント
とすると、
「訃報のお知らせ」は、
『死のお知らせの報告をお知らせします』
ってこと?!!
重々言ですね。
ということは、
「訃報のお知らせ」というのは
『死亡の報告のお知らせ』?!
まさに重々言ですね。
というコメントも2つ…
母が重体 回復の見込みは0です 。しかし人間の
最期 を見ることは 実に 言葉では いい表せない感情が 込みあげてきます。
訃報が重言ってのはちょっと違わないか?
二字熟語には『似た意味の漢字2つを組み合わせて、意味を強くする』というものは多くある
訃報を重言とするなら広大や優雅といった言葉もすべて否定することになる
話し言葉の場合「訃です」と聞いた場合、「ふ」に対してどの文字が当てはまるのかそれだけでは判断できませんが、「訃報」と聞けば文字が判断できます。
書き言葉の場合「訃」と書かれても「訃報」と書かれてもどちらでも判断できます。
話し言葉で一般化している「訃報」を書き言葉でも共通して使うというのは、伝えたい事を正確に表現するという点から合理性があります。
文字や言葉というのは「伝える」というのが最も根本的な目的ですから。
伝え方はともあれ、伝えたい側の気持ちはそこじゃないと思います
身近な人を喪い、悲しみ、喪に服する人に
重言ですよなんて教えた所で、誰のメリットになるのでしょうか
頭悪いねぇ…
一葉目を蔽えば泰山を見ず…か
訃は「死の知らせ」報は「知らせ」であって同じ意味ではないと思います。
広大は、「広く大きなさま」優雅は「優れ雅なさま」同類語を二字熟語で用い、強調している。
つまり、訃報は別系統にあたるはずです。
それでも、母の訃、じゃあ、文字列だけだとしても伝えにくいですけどね。
私も日本語には厳しい方ですが、たまに自分も知らずに間違えている場合があります。
今回はそれでした。勉強になりました!
ちなみに ご存じ という言葉はどう思いますか。 存じる という謙譲語に ご をつけるのは不自然な気がします
「ご存じ」について調べたことがあります。
NHK放送文化研究所では、「ご存知」を誤りとして「ご存じ」としていますが、
「存知」は吾妻鏡や平家物語に見られる古い言葉であり、別の言葉とする意見があるようです。
意味は「(存在を)知っている」です。
この言葉に「ご」をつけて尊敬語または丁寧語としているようです。
私はこの論で腹落ちしました。
なお、敬語の指針(文化審議会答申平成19年2月2日)では「ご存じだ」が認められています。