こんにちは。
3つの「消えた地名」の事例から、地名は一部の人間の都合で決まることを示します。
序・ポエムな地名「奏の杜」
居酒屋甲子園ばかりがクローズアップされた感のある1/14放送のクローズアップ現代「あふれる“ポエム”?!~不透明な社会を覆うやさしいコトバ~」でしたが、番組ではほかにも「ポエムな条例名」「ポエムな地名」も取り上げられていました。
「ポエムな地名」で取り上げられたのは、「奏の杜」でした。JR津田沼駅南口一帯(千葉県習志野市)の再開発に伴い、谷津という街区名が変わってしまったものです。
「なんで一部の人間のもうけ話のために歴史を消すんだ」とする地元住民のコメントが放送されていました。
奏の杜の生臭さ
実際kanadenomori.jp を見てみますと、住民の方が言っていた「一部の人間のもうけ話」の生臭さが漂ってきます。
「奏の杜」の名称、およびシンボルマークは商標登録済みです (タウンネームについて)
そういうものを、公共の街区名にしているわけですし、
また、サイトの問い合わせ窓口は、
習志野市 JR津田沼駅南口土地区画整理組合 業務代行事務所(株式会社フジタ)
です。
これだけで断定はできませんが、第一印象では、いちデベロッパに行政がやられてしまってる感がにじみ出ています。
地名は一部の人間の都合で決まる
奏の杜に憤慨する谷津住民の気持ちもわかりますが、地名は一部の人間の都合で決まるものです。そういうさだめと言ってしまっていいかもしれません。
以下、次の3つの「消えた地名」の事例について知っていることだけを中心に述べます。
- 麻布北日ヶ窪町(東京都)
- 挙母(愛知県)
- 井口(岐阜県)
1.麻布北日ヶ窪町(東京都)
現在の行政上の街区名は「六本木六丁目」ですが、一般には、この建物があることで有名です。
六本木ヒルズになった町 —- 麻布北日ヶ窪町(www.dagashi.org)というページで、同じ場所の1983年と2013年の写真が見られます。
周囲よりも低くなっているので、旧町名には「窪」という字がついたのだろう。そこが、なんと町ごと六本木ヒルズという巨大な建築物群に姿を変えたのである。「窪」は「ヒル(丘)」になってしまったのだ。
とあるとおり、地形に由来する名称まで改竄してしまいました。
2.挙母(愛知県)
豊田市中心部の旧称です。「ころも」と読みます。
古く『古事記』垂仁(すいにん)天皇の項に「許呂母(ころも)の別(わけ)」の名が載り、(略)古代から中世まで「衣」や「挙呂母」などとも称された。
(出所:kotobank 日本の地名がわかる事典の解説)
とあるように、古くからの由緒ある名前です。
それがこんな経緯で消えてしまいました。
1938年(昭和13)にトヨタ自動車の工場が誘致され、以後、自動車工業の拠点として大発展。
1951年(昭和26)に挙母市として市制施行したが、市議会議員・商工関係者から市名改称の気運が盛り上がり、市民各層からの反対の声を押し切って1959年(昭和34)1月1日、「豊田市」と改名された。
完全に、「一部の人間のもうけ話」に乗っかっている格好です。
トヨタと豊田には、単なる企業と企業城下町にとどまらないえげつなさを感じますので、別途記事にまとめる予定でいます。
3.井口(岐阜県)
井口(いのくち)は岐阜の旧名です。岐阜の名は、織田信長が名付け親とされています。
この地は古く「井口(いのくち)」と呼ばれていたが、永禄10年(1567年)、当時「井口城」や「稲葉山城」と呼ばれていた城を織田信長が陥落し、「岐阜」に改称した。
正式な改称時期は、「井口を改めて岐阜とする」とした天正3年(1575年)である。
(出所:地名由来辞典>岐阜県)
「ここ、これから岐阜でーす」となったのは、一部の人間どころか、織田信長一人の都合とも言えます。
探してみると、織田信長の岐阜命名(補足)|国家鮟鱇(2011/03/29付)など、興味深い記述のページも見つかったので、岐阜の名についても別途まとめるつもりでいます。
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