こんにちは。
ひとつ前の「現場向け」に引きつづき、この世の地獄からの脱出を目指します。「会議室向け」となります。
6000字超の長文ですのであらかじめご承知おきください。
続・出典マニアがもの申す
はじめての方もおいでかと思いますので、くり返します。
「電車で泣く子供」をめぐる騒ぎはこの世の地獄です。延々と抜け出せない無限ループに陥っているからです。
ただ嗤うだけでなく、よりよい社会となることを願って、このたび不肖地獄のヤシロが整理しておくことにしました。
この記事が、地獄からの脱出を果たせる「蜘蛛の糸」となれば幸いでございます。
なお「電車」が飛行機・バス・船 etc. であっても本質は変わりませんから、以後は一般化して「公共の乗り物で泣く子供」とします。
「一生使える」を目指して
志だけは高く、この世に公共の乗り物がある限り色あせないコンテンツとなることを目指して、個別具体的なケースに関する記述は、極力排除して進めます。
書くこと
この記事で書くのは、次の3つです。
- 「乗り物で泣く子」騒ぎをめぐる経過を示した汎用フロー【再掲】
- 「会議室」における問題点とそれを生む背景
- 上記に対して「こういう方向で解決しませんか」という解決プランと関連する注意点の提示
書かないこと
個別具体的な解決案は述べません。
解決方針として、プランの中で方向性のみ示します。
「無限ループ」再掲+前回までのあらすじ
おさらいを兼ねて、前回の議論の骨子を記載しておきます。
「乗り物で泣く子供」騒ぎの無限ループ【再掲】
- どこかの公共の乗り物の中で子供が泣く
- 乗り合わせた別の誰かが不快になる
- 現場の利害関係者(乗務員を含む)の間で、ひと悶着あったりなかったりする
- その顛末を、当事者(現場に居合わせた者を含む)がどこかで公表する
- それを別の誰かが論評する
- その論評に対しても、また公表された顛末に対しても、いろんな人が入り乱れていろんなことを言い出す
- みんな飽きてくる
- (1. に戻る)
まさにこの世の地獄です。
解決プラン(総論)
この延々と続く無限ループ、無間地獄の連鎖を、どこかで断ち切ること。これが大方針です。
第一目標は「現場での問題解決」
そこで上の7ステップを、1.~3.の「現場」と後半4.~7.の「会議室」に二分し、まずは現場での問題解決能力の向上を目指しませんかと提案しました。
詳細はこちらです。
→【現場向け】低レベルすぎて地獄の「電車で泣く子供」騒ぎのための、一生使えるフロー・問題点・解決方針(2014/01/11)
パート2:会議室編
この記事では、残る「会議室」での議論を考えていきます。
序・すべては「現場での問題解決能力」向上のために
どうして現場に血が流れるんだ
~~青島刑事(織田裕二) in「踊る大捜査線 THE MOVIE 2」(2003)
「公共の乗り物で泣く子」に関して言えば、それは現場での問題解決能力が低すぎるからです。
“事件”を未然に防ぐ方法も、起きてしまった場合の適切な対処も知らないからです。
そしてまた、知っていてもできないからです。
これらを知り、実践できるようになること、それこそが「現場での問題解決能力」です。
会議室編のポイント
1)「会議室」での議論は、現場へフィードバックするためにあります。会議のための会議は無益で無意味です。
2)「会議室」で「頭の悪い善人」が発言することで、議論がダメになりがちです。現場での問題解決能力の向上に資するには、ダメな議論に陥る事態を回避する必要があります。
3)「乗り物で泣く子」問題の本質をつきつめれば、それは物体の振動による「音」の、発生と伝達の問題です。工学分野で蓄積されているノウハウが生かせるところがありそうです。
4)後回しにしましたが、実は「会議室」で行える議論はもうひとつあります。それは、デザインレベル、システムレベルでの対策を考える「ハイレベルな議論」です。
忘れてはいけない大事なこと
「会議室」での議論は、そもそもが当事者不在です。
ここでの「当事者不在」の意味は2つあって、
- ひとつは、問題の当事者が参加していないこと
- もうひとつは、当事者のためになっていないこと
です。よって
- 過去のまた将来の当事者のためになる議論であること
- 「会議のための会議」に陥らないこと
が必須です。
問題解決のプラン
「会議室」が目標とするのは、次の3点です
- 有効な対策を見いだすこと
- 検討結果を現場に伝えること
- 現場の事例に学び、上記アウトプットの質をたえず保ち高めること
「会議室」での問題点とそれを生む背景
その議論、「現場のため」ですか?
「会議室」での議論は現場とつながったものでなければなりません。現場から乖離した議論は無益です。
くり返しとなりますが、「会議室」での議論とは、あくまで現場へフィードバックするためのものでなければならないはずです。
- 何ができるか
- どうすればよいか
- からみあう利害をどう調整すればうまくいくのか、あるいはいかないのか
これらを見いだし、現場に伝えなくてはいけません。
そうでない議論、すなわち「現場での問題解決能力を高める」から外れた議論は、無意味です。ときに有害ですらあります。
「会議室」でのダメな議論を見分けるチェックポイント
「現場での問題解決能力向上に貢献するか」
これが「会議室」で論じる価値があるかどうかの、最も大事なチェックポイントです。
ダメな議論の例
「会議室」での議論の中で、誰かが「こうしたら?」と何かアイデアを述べたとします。
これはダメではありません。解決を志向しているからです。
そうすると、その提案に「なんてことを言うんだ!」のような反応をする人がいます。
発言をいち解決案として冷静に吟味できず、自分が容認できるか、好きか嫌いかといった基準だけで反応しています。「乗り物で泣く子供」と大差ありません。
そうして議論の方向が狂います。
ダメな議論の誕生です。
解決策は、いったんすべて洗い出そう
恐らくその人は、何らかの理由で自分の価値観では受け入れがたいものだから、そういう反応をするのでしょう。
しかし解決を目指した提案であれば、それがどんなものであれ、いったんは検討のテーブルに載せなければいけません。考えうるものは残さず洗い出して、そこへ並べることです。
そのうえで、却下するにしても「この点で効果が十分ではない」「別のこういう部分に問題が生じる」のように、根拠に基づいて行わなければいけません。
「頭の悪い善人」たち
ところが「会議室」には、それを知ってか知らずか、議論の足を引っぱって紛糾させてしまう困った人たちが紛れ込んでいます。
ひとくくりに言ってしまうと「頭の悪い善人」です。
「頭の悪い善人」の例 ※フィクションです
このような例文を作ってみました。実際にツイッターに投稿しましたが、内容はフィクションです。
近所に住んでる小2ぐらいの男の子が、♪花は花は花は咲く~ と歌いながら下校してきたのが聞こえ「こいつ絶対頭悪い」って思った。
— ヤシロタケツグ (@yashiro_with_t) 2014, 1月 12
頭の悪い善人はこれに
- 歌をバカにしてるのか
- 被災地・被災者や亡くなった人を侮辱するのか
とか言い出すのです。(これも架空の例です。念のため)
「頭の悪い善人」たちは「切り離せない人」
別の言い方をすると、「頭の悪い善人」というのは「切り離せない人」です。
例文の書き手は「その状況でのその行動」のようなトータルを「頭悪い」と思ったのであって、この歌《花は咲く》のことや、ましてやそれにまつわるもろもろを頭悪いと言っているのではありません。
ところが、頭の悪い善人は頭が悪いのでそれがわかりません。事象から意味を切り離すことができないからです。「切り離せない人」特有の頭の悪さと言えます。
会議室での方針は「黙らせる」
したがって、少なくともこの議題を扱う会議室では、「頭の悪い善人」に発言資格も発言権もありません。その発言が、そこでの議論、ひいては現場での問題解決能力の向上に対して、マイナスの貢献しかしていないからです。
なのに発言できてしまっている。これが、現状の「会議室」における議論の大きな問題点です。
くり返しますが、頭の悪い善人に会議室での発言資格はありません。黙っていなさい。
進化形「頭のおかしな善人」
そんな「頭の悪い善人」が出世・進化すると、「頭のおかしな善人」になります。
そのひとつの到達点が「車内暴力追放キャンペーン」(a. 1989)です。僕はこれで、「頭のおかしな善人」というカテゴリーを知りました。
「頭のおかしな善人」によるベストプラクティス:車内暴力追放キャンペーン
「車内暴力追放キャンペーン」とは、イッセー尾形さんによる一人芝居の演目のひとつです。
それは「ベスト」プラクティスなのか? という疑問もあるやもしれません。頭はおかしいのですが、どこまでも善人なので「ベスト」としました。
検索してみると、1985年頃から演じられていたようですが、僕が見たのは1989~90年頃の公演中継でした。
あらすじ(記憶頼み)
イッセー尾形さん演じる男性が、車内マナーの向上を図るべく「車内暴力追放キャンペーン」と称してひとり地下鉄車内に現れ、乗客に片端からからんでいくという筋立てです。
決めゼリフは「勇気、リンリン! ベル、リンリン!」。
映像資料が手元になくて記憶頼みなので、細部の文言は正確ではないですが、「子連れのお母さん」にからんでいったくだりが、こんな感じでした。
頭のおかしな善人 VS 子連れの母親
「あなたはなんてお母さんなんだ。生まれたばかりの弱い赤ちゃんを、こんなところに連れてくるなんて。赤ん坊と電車に乗らない。乗せない」
「電車に乗らない勇気。勇気、リンリン!」
でもって、一人芝居による「赤ん坊が泣き出す」という描写があってからの、最後の捨てゼリフがこうでした。
「赤ちゃんは泣くのが商売」
2つの極論
見覚えのある、解決策として両極をなす「極論」が出てきました。
電車に乗らない勇気
赤ちゃんは泣くのが商売
とっくの昔にこう言われていたわけです。
極論は、どれも間違い
むろん、どちらも間違いです。
後者は事実としては正しいですが、それを根拠に「そんなことで大人が怒るな」という主張が込められていれば、それは間違いです。
「乗るな」「怒るな」どちらも間違いです。
そして両者を裏返した「どう乗ってもいい」「どう怒ってもいい」もまた、いずれも間違っています。
どのパターンも、利害関係調整に失敗しているからです。
スタート地点の目印としてのみ有効
ただ、歩み寄りをはじめる出発点として、極論はいい目印になると思います。
結局それは「音」の問題
ところで、「乗り物で泣く子供」をエンジニアリング的観点からつきつめれば、それは究極には振動による「音」の発生とその伝達の問題です。
したがって、大別して
- 音の発生源である子供
- 音を伝える空間、ならびに、そこに存在する物質
- 音を受ける感覚器官
そのどこかに手を打てばよいということになります。もちろん、複数の対策を組み合わせることも考えられるでしょう。
工学的アプローチのすすめ
振動による「音」の発生と伝達という工学的問題なのですから、工学的発想によるアプローチを図ることが有効だと思われます。
無学ゆえ具体的なことは言えませんが、機械工学などあらゆるエンジニアリング分野で、制振、遮音に係るノウハウの蓄積があるはずです。これを生かさない手はありません。
一因は「静かだから」
というのも、「乗り物で泣く子供」が問題になるのは、それが問題となるほどに、車内なり機内なりが静かで快適だからです。
モーター音やエンジン音、あるいは風切り音など、いろいろな「音」をいかに抑え、かつ伝えないようにするかが、考えられてきているに違いありません。
大半の人には気にも留められていませんが、その空間は、設計エンジニアたちが営々と積み重ねてきた努力の賜物です。
後回しでいいが「ハイレベルな議論」も進める
一方で、「現場」レベルよりも高いレベルでの解決アプローチを求めることも必要です。
現場レベルであれこれ腐心するのでなく、現場で運用すれば、起こりにくい、理想を言えば起こらないような対策を考える「ハイレベルな議論」、すなわち、問題そのものを生じにくくさせるようなデザイン、システムを求めるアプローチです。
ハイレベル協議の課題1
しかしこれを、「現場レベル」を議論するのと同じ「会議室」の議題にするのは賢明ではありません。議論のレベルを理解できない頭の悪い善人が黙っていられず、ますます収拾がつかなくなるからです。
既存の会議室とは分けて運用させることがよさそうです。
ハイレベル協議の課題2
また、ハイレベルゆえに、問題設定が大きな鍵となります。「泣く子」問題以外の問題とのコンフリクトを考えなければならないからです。
たとえば「年齢制限のある『R6』やら『R12』やらの座席・車両を設ける」案があるとして、それで解決/軽減される問題と、それでは解決しない問題、それにより新たに発生する問題、総合的に勘案して是非を判断しなければなりません。
どのあたりまでを検討範囲とするか、「十分検討する」と「とりあえずやってみる」の境目をどこに置くかなど、自分でもどう臨めばいいかの答えは出ていません。
「会議室」版の利害関係調整は、「現場」とは別の困難さがあります。
個人単位でのハイレベルな検討
利害関係者の個別の事情は千差万別であり、一概に言うことはできませんが、それでも「現場」レベルに立ち入る前に、個人個人で検討できることはあります。
「ベスト」「ワースト」の例
「乗り物で泣く子供」からは離れますが、僕がハイレベルでの「ベスト」プラクティス、「ワースト」プラクティスだと思う事例を、ひとつずつ紹介します。
よい例:寺田寅彦さん
まずはベストです。
…私は満員電車には乗らない事に、すいた電車にばかり乗る事に決めて、それを実行している。
必ずすいた電車に乗るために採るべき方法はきわめて平凡で簡単である。それはすいた電車の来るまで、気長く待つという方法である。~~寺田寅彦「電車の混雑について」(1922)(青空文庫)
賢いです。乗らない「勇気」ではなく「知恵」と呼びたいですね。
この随筆で書かれているのは東京の市電の話ですが、僕はこれをエレベーターに応用しています。観察してみると、エレベーターが混雑するメカニズムは、寺田が書いたそのままなのです。
悪い例:岸川慎吾さん
こちらがワーストです。
うるさい!!
俺だってこんなふうになりたくなかった!
こんなふうに…~~岸川部長(森田順平) in 「半沢直樹」(2013)第10話
不正の「システム」に取り込まれ、迂回融資、隠蔽工作と次々に加担せざるを得なくなってしまった人の悲しい叫びです。
応用させてみましょう。
「乗り物で泣く子供」問題についてもまた、利害関係者のそれぞれが、
- 無用にその「現場」に取り込まれてしまっていないか
- つまり、なぜ自分が、そういう問題が発生する確率の高い「現場」にいなければならなくなっているのか
を再考する価値はありそうです。
「うるさい!!」と怒鳴る・られる前に。
まとめ
せめてこの世に生きているうちは、より建設的なことに時間を使いたいものです。それができなければ、この世はいつまでも地獄です。
延々とくり返す無間地獄など、死んでから存分に味わえます。たぶん。
参考文献
無意味で無益な議論をしないために
飯田泰之『ダメな議論』(2006)
横山信弘『脱会議』(2012)
工学的アプローチのヒントに
中尾政之『続・失敗百選』(2010)
あとがき的蛇足
失敗知識データベース(sozogaku.com)にしてもそうなんですけど、いい情報が詰まっているのに「使いにくい感」がすごいので、いろいろなんとかしたいなと思っています。
以上、善悪の彼岸から不肖地獄のヤシロがお届けしました。
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