こんにちは。
この記事で言いたいこと
ホワイトカラーの仕事は、「数独」をやることに似ている。
いつの頃からか、そう思うようになりました。
数独とは
数独とは、一定のルールに従って数字を入れていくパズルです。
1984年にニコリ代表の鍜治真起がアメリカの雑誌でこのパズルを見つけ、日本に紹介するときに「数字は独身に限る」と命名しました。1988年に単行本を出すことになったのですが、あまりに長すぎるタイトルなので「数独」と短くしました。
(ニコリのパズル > 数独 より)
「数独(SUDOKU)」は株式会社ニコリの登録商標です。
※数独の例(en.wikipedia.org より)
Sudoku は世界共通語
「Sudoku」は世界共通語です。
ニコリファンのうちのひとりがイギリスの新聞に「sudoku」の企画を持ち込み、連載を始めたのが2004年の11月。(略)
2005年にはイギリスで大ブレイク。ヨーロッパ各地へとブームは広がります。大西洋を越えアメリカでもブームを巻き起こしました。(ニコリのパズル > 数独 より)
このような経緯もあって、Wikipedia には、日本語版はもちろんのこと、英語版のSudoku ほか、のべ60言語以上の版に「数独」の項目があります。
数独と僕
一時期、僕もよく数独をやっていました。
しかしあることをきっかけに、まったくしなくなりました。
僕が数独をやめた理由
あるとき、自分ではどうしても解けない数独の問題がありました。
それで試しに検索してみると、数独を解くWebアプリケーションがいくつもあって、その1つを使ってみると、たちどころに解決してくれました。
そして解決した瞬間に「これはもう自分がすることではない」と、はっきりとわかりました。人によっては、それを「天啓」と呼ぶかもしれません。
それ以来、僕は数独をやっていません。
数独の価値
数独を解くことに社会的な価値はありません。何も生んでいないからです。
解くことが目的であれば、数独は機械(コンピュータ)にさせるのが正解です。優れたアプリケーションが既に存在しており、人がするよりも何十倍何百倍も速く正確に解を出してくるからです。生産性を考えると議論の余地はありません。
では、人が数独をすることは、価値のない、無意味な行為なのでしょうか。
必ずしもそうだとは言えません。数独に取り組んでいる人は、それを完成させることよりも、むしろ解くプロセスに楽しみややりがいを見いだしているだろうからです。
ホワイトカラーの仕事の価値
ホワイトカラーの仕事も、数独にどこか似ているなと思います。
ホワイトカラーの仕事は、そもそもが社会的に無価値かもしれません。とまでは言えなくとも、どこがどう社会的な価値につながっていってるのか、はっきりしないケースも多そうです。
「解を求める」を目的にしたら、実は「機械にさせる」が最適かもしれません。優れたソリューションが既に存在するかもしれないからです。あるいは価値をシビアに評価すれば、「やらない」がベストな場合すらありえます。
では人がそんな仕事をすることは、価値のない、無意味な行為なのでしょうか。
必ずしもそうだとは言えません。社会的な価値がないか、価値があるとしても連関がきわめてあいまいであるような仕事に取り組んでいるホワイトカラーの人は、それを完成させることよりも、むしろそのプロセスに楽しみややりがいを見いだしているだろうからです。
ホワイトカラーの仕事の問題点
「自分が取り組む」が、やり方として最適でないうえ、社会的にはやる価値すらないかもしれない。けれども、プロセスとか存在自体になんだかんだと意味やら意義やらを見いだしてやっている。
ホワイトカラーの仕事は、こういう性質のものが混入しやすいと言えそうです。
それに、するしないは当人次第である数独とは違って、やっている人の側に選択権のないケースも多いでしょう。
問題なのは、数独よりもそうした構図がわかりにくいことです。
ではどうすればいいか
ではどうすればいいかを考えます。
数独の場合
数独の場合、答えははっきりしています。
問題解決が目的なら、かつての僕のように、機械にさせることが最適です。人が解くことに価値はありません。
では数独自体が無意味で無価値かというと、決してそうではありません。人に楽しみを提供しているからです。
具体的な詳細はわかりませんが、数独を提供する側は
ニコリは現在でも「数独」(に限らずすべてのパズル)を改良、洗練させ続けています。
(ニコリのパズル > 数独 より)
と、自負されています。こういう姿勢が世界的な支持にもつながっているのでしょう。
ホワイトカラーの仕事の場合
ホワイトカラーの仕事の場合も、見きわめはむずかしいながらも、基本的な構造は同じです。
問題解決、価値創造が目的なら、無意味なことがたくさんあります。人がやることに価値のないものも少なくないでしょう。
ではホワイトカラーの仕事自体が無意味で無価値かというと、決してそうではありません。人に楽しみを提供しているからです…ってホントか?
結論
そう考えていくと、ホワイトカラーの仕事も、数独と同じように「する側」ではなく「提供する側」になることが、解決へ向かうひとつの道筋であるように思えます。
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