こんにちは。
2冊の本を読むとつながってきましたので、大して裏も取らず横流しするだけという意味での雑な議論をくり広げます。
要約:Executive Summary
「BL」と呼ばれるジャンルがあります。「ボーイズラブ」の頭文字です。
“Severus y Harry” by Yukipon from commons.wikimedia.org
ものの本を読んでみた感触では、BLで描かれる関係が「男同士」であることには、どうやら必然性があるようです。
そこには、女性の性欲の仕組み、とりわけその満たし方が、大きく関わっています。
おことわり
ジャンルの呼称としては「やおい」もありますし、海外では記号「/」の名前から「スラッシュ」とも呼ばれています。
当記事ではこれら「BL」「やおい」「スラッシュ」をひとくくりにしております。用語法の細かな違いまでは把握できていませんので、「腐女子」をはじめとする関連ジャンル愛好家の皆さまにおかれましては、何かお気づきの点がありましたらご指摘いただけますと幸いです。
話題の本
Twitterで、こんな本が話題になっていました。
【 古 典 B L 小 説 集 】…遂に出来ましたドーンっ…‼︎…兄弟、友人、年の差カップルーー〈やおい〉文化勃興前の19世紀後半〜20世紀半ば、各国の女性作家たちにより、常に!すでに!書かれていた男同士の物語。解説がもぅ…すごいの! pic.twitter.com/L5Jbf9XjqF
— 平凡社ライブラリー (@Heibonsha_L) 2015, 4月 24
まとめもできていました。
- なにこの異常事態… 平凡社「古典BL小説集」が盛り上がりすぎてヤバイことになってる|togetter.com
特定の層にとって実に魅力あふれるコンテンツのようですから、売れるといいですね。
BLは、なぜ「男同士」なのか?
BLとは「ボーイズラブ」の頭文字から取った名称です。
ところで、なぜBLは「ボーイズ」なのでしょうか? 「やおい」が「男/女」または「女/女」では、どこか都合が悪いのでしょうか?
理由:女は邪魔だから
ものの本に書いてあった内容を総合してひとことで述べると、答えはこうなります。
- 女がその性的欲望を満たすとき、女の存在は「不純物」でしかないから。
したがって、「女」はその場から排除されてしまいます。ときに「女」の肉体を持つ自分自身すら、その例外ではありません。
「男同士」のメリット
また、女性にとって「男同士」であるメリットとして
- 「リスク」を想起する必要がない
- 「攻×受」の展開が自在
が挙げられます。
「女性の性欲」の特徴
上記のメリットを理解するための前提として、女性の性欲に関して次のような特質があることをふまえておく必要があります。
- 性的な興奮について、女性は頭(心理的興奮)と体(身体的興奮)の連動性が非常に低い
- 連動性が低いのは、女性の脳の中に、リスクをチェックする「探偵団」がいるため
- 女性は関係に萌える
- 女性の享楽は、対象と同一化し関係そのものに没入する「他者の享楽」
書籍の記述から
「ものの本」2冊から引用しつつ、詳しく説明します。
使用する1冊目は『性欲の科学』(坂東智子訳 2012, 原著2011)です。
本書の副題は
なぜ男は「素人」に興奮し、女は「男同士」に萌えるのか
なんですが、これは邦訳時にアイキャッチ用に付けたタイトルのようです。本文中にそのものずばりを説明している段はありませんでした。
それはそれとして、まずは、前段となる話からです。
1:頭と体の不一致
- 性的興奮について、女性は頭(心理的興奮)と体(身体的興奮)の連動性が非常に低い
別の言い方をすると、こうなります。
脳の意識的な興奮と、体の無意識な(あるいは半無意識な)興奮とが一致しない(p.118)
1969年から2007年までに発表された132の研究論文が示す事実は、次のとおりでした。
男性が性的興奮を覚えるときは、頭と体がはっきり連動している。しかし女性は連動しないのだ。(p.119)
なかには、女性の身体的興奮と心理的興奮の連動性が非常に低いので、女性の愛液の分泌は、女性のほんとうの気持ちの判断材料になりにくいと主張している学者もいる。(pp.119-120)
女性は、頭では反抗していても、体が反応するのだ。(p.120)
無用に添削してしまうと、ここは順序を入れ替えて
- 「体が反応しても、頭では反抗しているのだ」
とする方が趣旨が通りやすい気がします。
一方、男性が勃起していたら、その男の頭のなかは簡単に想像がつくというわけだ。(p.120)
「簡単に想像がつく」側としては、つい「イヤと言っているのに体はほらこんなに」みたいな安いシチュエーションを想像してしまいますから。
まあ、ともかくここで重要なのは、
女性の性欲は、意識が強く支配している
ということです。
「女性用バイアグラ」開発の挫折
女の性欲においては、頭と体が連動していないという事実。
これが、製薬会社が女性用バイアグラの開発に行き詰まった原因だろう。
としています。
小まとめ1
女性を興奮させるには、脳を興奮させる必要がある。
2:脳の中の「探偵団」
女性は、肉体の興奮と脳の興奮が連動していません。なぜでしょうか。
同書では、次のような仮説を述べています。
女性は、男性とのセックスに入る前に、長期的なことに配慮するのではないだろうか。(p.122)
妊娠・出産・授乳・育児に要する多大なリソースとエネルギーを考慮すれば、リスクに対してシビアに判断を下すのは当然、という論です。
女性の性的欲望は、そうしたリスクの念入りなチェックを通じて、フィルターにかけられているのではないだろうか。(p.123)
女性の神経系は、有益な情報を見つけ出し、それを入念に吟味し、評価を下すように作られているように思える。(p.123)
女性特有のこの働きを、同書ではアガサ・クリスティの小説の主人公になぞらえて「ミス・マープル探偵団」と呼んでいます。
小まとめ2
女性の頭の中には、鋭い観察眼を持ち、シビアな評価を下す「探偵団」がいる。
3:「関係」に萌える女
スラッシュ小説や男同士のエロチックロマンス、パラノーマルロマンスの人気は、女性が文章によるエロティカル・イリュージョンに惹かれることを示している。(p.349)
女性が文章によるエロに惹かれるのはなぜでしょうか。
女性の性欲を満たすのに、写真や映像といったビジュアルな情報は必須ではないためです。
詳述は省きますが、男の性欲は視覚優位です。街にあふれる数々のエロものを思い起こせば、理解できるかと思います。
一方、視覚優位である男性と違って、女性が性欲を満たす手段とは、「同一化」です。女性は、男以上に脳でセックスすると言えそうです。
これ以降、『母は娘の人生を支配する』(斎藤環, 2008)にスイッチです。
引用するテキストは、いずれも「第三章 女性ゆえの困難について」からです。
まず、同書の「やおい」についての記述です。
このジャンルの作品にあっては、女性はほとんど登場しません。彼女たちは、虚構空間にあっては、対幻想の抑圧から解放されて、描かれた関係性そのものに「萌える」ことが可能です。
男性おたくがキャラクター萌え(対幻想の影響下)優位であるとすれば、女性おたくは関係性萌え優位なのです。
補注:対幻想
ここに出てくる「対幻想(ついげんそう)」という語について補足しておきます。
Wikipediaによれば、吉本隆明による造語で
「男女の肉体的、動物的な生殖行為や子育てから疎外された幻想」
とのことです。わかったようなわからないような、わからない用語です。
斎藤環さんが同書で「対幻想」を持ち出されているのは、次のような背景があってと思われます。同じくWikipedia「対幻想」より。
吉本は、対幻想は家族の本質であると述べている。
フロイトを(略)高く評価し、その思想を自分の思考に取り入れている。
吉本は、対幻想領域としての家族は、冷酷で抑圧的な共同幻想から薄弱な自己幻想を守る緩衝的な空間だと考えている。
4:女のそれは「他者の享楽」
さて、斎藤さんは、「立ち位置」を定めることがどうしても必要となる男性と対比させ、「女性の享楽」について次のように述べています。
自らの主体のポジションへのこだわりはずっと希薄なものとなります。むしろ、ひたすら対象に没頭し、同一化するためには、自らを空虚にしてのめり込む方がより享楽は大きくなります。
名づけて「他者の享楽」です。
斎藤環さんによる「オタクの性差」
同書の述べる、性別ごとの萌え方の違いです。※下線は引用者
男性おたくの「キャラクター萌え」は、キャラクターというフェティッシュを所有すること、すなわち「持つこと」が重視されます。
これに対し女性おたくにおける「関係性萌え」では、キャラクターや関係性に同一化すること、すなわち「なること」が重視されるのです。
小まとめ3・4
女性が性欲を満たす手段は、「なる」=対象との「同一化」
メリット1:「女不在」である意味
冒頭で述べた「男同士」の2つのメリット、まずは
- 「リスク」を想起する必要がない
について詳述します。
『母は娘の人生を支配する』では、
ひとつには、女性キャラクターを徹底して排除するためです。
として、女性キャラクターの存在に伴うデメリットをこう説明しています。
女性キャラクターの存在は、純粋な関係性の享楽にあっては不純物でしかありません。それはなまじ読者と同性であるがために、女性視点への同一化を誘いやすい。それはしかし、自由な同一化を行ううえでは、つまずきの石でしかないのです。
「女性視点への同一化」が起これば、それはそのまま、リスク情報を収集吟味して評価を下す、脳内の「探偵団」の出動に直結します。
「探偵団」が稼動しているあいだ、女性の脳は「リスク」に関して敏感かつシビアです。性的興奮を覚えることは困難な状態だと思われます。
女性キャラクターが出てこなければ、女性視点への同一化は起こりえず、よって「リスク」に煩わされることもなく、「萌え」となる関係性の中へひたすら没入できます。
これは非常に大きなメリットです。
少し話はずれますが、職場での女性社員の言動は、男性よりもむしろ同性の上司や同僚の方が細かくチェックしている、といったような話も、「探偵団」を措定すれば合点がいきます。
小まとめ5
「探偵団」が出動すると、興奮できない。
メリット2:「純粋」で「自在」
「男同士」のもうひとつのメリットである、
- 「攻×受」の展開が自在
については、
快感原則を追求していくうえでの、純粋に機能的な要請による、と考えています。
「攻×受」の関係性を純粋かつリバーシブルに展開するには、男性同士の組み合わせしかありえない、という点も重要です。
これは一人の男性が、その身体的な構造上、「挿入する側」と「される側」をともに兼ねることができる、という意味でもあります。
としています。
小まとめ6
女性にとっての「萌え」の関係性は、純粋で自在でなければならない。
まとめ
途中途中での「小まとめ」1~6を再掲します。
- 女性を興奮させるには、脳を興奮させる必要がある。
- 女性の頭の中には、鋭い観察眼を持ち、シビアな評価を下す「探偵団」がいる。
- 女性が性欲を満たす手段は、「なる」=対象との「同一化」
- 「探偵団」が出動すると、興奮できない。
- 女性にとっての「萌え」の関係性は、純粋で自在でなければならない。
「腐」の属性が求める、こうした“機能要件”を満たすのは、「男同士」以外にありえません。「女」は邪魔者です。
こうして、BLが「男同士」であることが必然となります。
『性欲の科学』と『母は娘の人生を支配する』の2冊を読んでつながりました。
総括:男は「立場」、女は「関係」
『母は娘の人生を支配する』には、こういうくだりもありました。
男性がつねに「立場」を求める生きものなら、女性は「関係」を求めているとすらいいうるでしょう。
(第一章「母と娘は戦っている」より)
性欲の文脈ではありませんでしたが、なるほどそうだなあと。
今後の課題
以上の論に対し、女/女の「百合萌え」をどう位置づけるか、そこが課題ではあります。
関連書籍
ちなみに『性欲の科学』で「よく知られている」と言及されていた日本のBL作品は、次の2つです。
◆ライトノベル「富士見二丁目交響楽団」シリーズ(Amazon)
◆コミック「てのひらの星座」
おっさんラブには未知の世界でした。
以上です。ご静聴ありがとうございました。
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